彼はわれわれの命である。癒しである。力である。印刷されたページの言葉ではない。この書き記された御言葉についてのわれわれの誤った解釈ではない。肉体となった言葉である――生ける御言葉である――かつてわれわれの間に宿られたが、今では生ける御言葉である神の御言葉である――この御方はわれわれの内側に住んでおられる!これは彼であるところの御言葉であり、われわれもそうなることができるところの御言葉である。なぜなら、彼が内側に住んでおられるからである。彼の神聖な命の流れにより、われわれは栄光から栄光へと変えられるからである。われわれが目覚める時、われわれは彼に似た者になるのである!

 多くの人が彼の二、三の御言葉を取り上げて、それを巡って素晴らしい説教を作り上げた。彼はかなりの部分、一つの理想となった――われわれの生活の模範、われわれの行いの見本となった。さて、それはそれで全く大いに結構なことだが、神がキリスト・イエスにあって上に召しておられる高い召しの水準には確かに届いていない。彼が話されたことは、彼がいかなる者であるかの神聖な啓示だった。彼が語り、行われたことは、偉大な力強い目的――それは彼御自身である――の外面的現れ、燦然と輝く栄光にすぎなかった。

 パウロは彼について知るための知恵を叫び求めなかった。飢え渇いた心の底から彼は、「すべてのことを損失と見なしています。(中略)それは私が彼とその復活の力とを知るためです!」と叫んだ。このキリストとの生き生きとした合一こそ、われわれの生活に必要なものである。「彼に似た」者になろうとする奮闘をわれわれはやめなければならない。最終的に王である彼の御前に出る時、あなたは王の伝記を読むことに長時間費やす必要はないのである!

 サマリヤの井戸の脇にいた女は、神を礼拝すべき山はどれなのかについて大いに心配した。ユダヤ人が言うようにエルサレムの山々なのだろうか、それともサマリヤ人主張しているようにサマリヤの山々なのだろうか?イエスは彼女に言われた、「あなたたちがこの山でもなく、またエルサレムでもなく、父を礼拝する時が来ます。まことの礼拝者たちが霊と真理の中で父を礼拝する時が来ます。父はそのように礼拝する者たちを求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者たちは霊とまことの中で礼拝しなければなりません」。


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