生ける道

 イエスが地上を歩まれた時代、パリサイ人たちは「見よ、ここに真理がある!」と叫び、サドカイ人たちはそれに反対して「違う、ここにある」と言った。ギリシャの哲学者たちは「自分たちは真理を持っている」と長い間言ってきた。しかし、われわれの祝された主は、「私は道であり、真理であり、命です。誰も私によらずに御父のもとに来ることはできません」と宣言して、彼らをみな黙らせた。今日も、これに変わりはない。彼はわれわれの道である。われわれの真理である。彼はわれわれの命である!他の道はない!他の命はない!他の真理はない!「太陽が見事に軌道を巡る所ではどこでも、イエスは統治される……」と歌うのは大いに結構なことである。

 これはある程度真実であり、これが見事に成就される日は遠くない!しかし、これよりも遥かに、われわれの心は絶えずこう歌っているべきである。

「キリストは私の内に生きておられます。キリストは私の内に生きておられます!ああ、何という救い――キリストが私の内に生きておられるとは!」


 肉は死ぬ。そして、アダムの性質は十字架に付けられなければならない。全き明け渡しに達するには、少しばかり痛い目にあうかもしれない。しかし、この地点にわれわれの主は御霊と真理によりわれわれをもたらされるのである。そしてその後、主は身を低くしてこの土の器の中に宿ることができるようになるのである。

 試みの下にある人が「私にはこの十字架を負えません!」と叫んだ。すると神の声が「あなたは私にこの十字架を取り去って欲しいのか?」と応えた。超自然的に呼び覚まされた理解力によって、もしこの十字架が取り去られるなら、さらに辛い十字架、そしておそらくは不慣れな十字架がその代わりに臨むであろうことを、彼女は示された。そこで、この十字架を取り去ることを彼女は求めなかった。しかし、すぐに、「さあ、それを私に委ねなさい」という同じ甘い御声が臨んだ。そして、委ねたとき、光が射したのである!――神ご自身が立ち上がって行動される、という啓示の輝かしい光が射したのである!下で、永遠の御腕が支えていたのである。そしてあの永遠の命の高潮と共に、十字架は冠となったのである!

 明け渡すことは何という特権だろう!主の足下に自分をすべて献げるよう招かれているとは、何という祝福だろう!主の理解力と比べたら――われわれの理解力は何と貧弱だろう!キリスト御自身によって成就された神の御旨という光に照らして見るとき、われわれのアダム的意志は何と不完全だろう。愛する人よ、近道はありえない!霊感された御言葉は、「誰でも他の道をよじ登ろうとするなら、その人は盗人であり強盗である」と宣言している。なぜなら、主イエス・キリストこそ神に至る唯一の扉だからである!誰も彼によらずに御父のもとに行くことはできない!回想してこう証しするのは何と甘美なことか。

「私は友を見いだしました。ああ、何という友!私が彼を知る前に、彼は私を愛して下さいました!彼は私を愛の紐で引き寄せ、そしてそうして私を御自身に結びつけて下さったのです!」


 「われわれはキリストの内にあると御父は見なされる」と――教理的に――述べることをわれわれは好んでいる。しかし御声が私の心に囁く真理は、「キリストはわれわれの内におられると、御父はまず見なされる」である。


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