人々は愚かにも、「懸命に奮闘努力して、呻き懇願しなければならない」「神が私たちの主であるキリスト・イエスにあって上に召して下さる召しにふさわしく生活しなければならない」と思っている!川は山を流れ下るためにもがくだろうか?海が大きな両手を開いて受け入れてくれる所に穏やかに流れて行く時、川の水は懸命に奮闘努力するだろうか?われわれは川床にすぎない。彼の命が川である。彼はわれわれを通して流れ、常に与え、分与し、放射し、注ぎ込む。そして遂には、われわれの命はキリストと共に神の中に隠されるのである!われわれの性質は彼の輝かしい神の性質によって造り変えられるのである!われわれの病、苦しみ、痛み――彼の神聖な愛の温かな流れの中で、これらのものが支配し続けることができるだろうか?

 神の解放により、われわれは神が愛情溢れる方であるだけでなく、厳しい方でもあることを見いだした。しかし、神の厳しさの中には常に愛がある!神はわれわれが近道するのをお許しにならない。神の命令は「徹底的に屠れ!」である。他の道はない。この明け渡しは部分的なものであってはならない。無条件でなければならない!われわれの全ての道で、われわれは神を認める。それは神がわれわれの道を導けるようになるためである!もしわれわれがこれを単なる便宜のためや、癒しを受けるためにするなら、われわれの祈り求めるものが多くのとき差し控えられることに何の不思議があろう?

 医者は好きこのんで「高慢な肉」に切り込むのではない。それを完全に除去せざるをえないのである。その後、癒しの効力が体のすべての傷に臨む。ツロとシドンの海辺から来た婦人を題材にする時、浅はかな考えの持ち主は「イエスは彼女を冷淡に扱った」と断言するかもしれない!イエスの御言葉は彼女を深く刺し貫いたに違いない。「イエスが語られたことのせいで、彼女の霊は傷ついた」と人は自然に予測するだろう。しかし、イエスの御業をさらによく見るなら、彼の見かけ上の厳しさは愛の中に浸されていたこと、そして、彼の愛に満ちた優しさとやさしい憐れみに満ちていたことがわかるのである!神の性質が臨むようになるために自分の中からアダムの性質を取り除くことに近道はないことがわかるのである!


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