偉大な医者

 病に見舞われると、多くの人は往診してくれる医者に電話をする。医者がする最初のことは、可能なら、何が問題なのかを突き止めることである。結論に達すると、医者は処方箋を作成する。この処方箋こそ患者が待ち望んでいるものである。医者は小さな空白のメモ用紙を取り出して、それに処方箋を書き記す。すると、誰かが薬局に行って、小さな黒い錠剤を持って戻って来る――あるいは処方箋にあるものはなんでも持って戻って来る。患者は処方箋に信頼する。その錠剤に効果があると期待する。患者が医者に信頼を置くのは、医者が治療法を知っていることを願っているからに他ならない。また、医者が処方箋を記す時、医者はそれについて確かに知っているはずである、と思っているからに他ならない。そして、患者は小さな錠剤を飲むと、ベッドに身を沈めて、錠剤が効くのを待つのである。

 主イエスの場合、何と異なっていることか!効力は彼の処方箋にあるのではない。様々な行いにあるのではない。「癒しを受ける方法」を知ることにあるのですらない。主イエス・キリスト御自身のパースンにあるのである。彼はわれわれが病と罪深い不純な状態にあることを分かっておられる。唯一の治療法は聖潔であることをご存じである。われわれもこれを知っていたが、聖くなろうともがく過ちを犯してきた。彼から離れるなら聖潔はない。聖潔をわれわれの心の扉に置き、それから立ち去って、それをわれわれの生活の中で用いるようわれわれに要求するようなことを、彼はなさらないのである!

 われわれは祭壇のところに行って聖潔を求めて祈り、時として飛び跳ねて、「主を賛美します、御業がなされました」と言う。しかし、主は聖潔を誰にもお与えにならない。主がわれわれの聖潔なのである。主の聖潔がわれわれの生活に溢れる時、われわれは真に主にあって聖められるのである!「しかし、あなたたちがキリスト・イエスにあるのは神によります。キリストは神に立てられて、私たちに対して知恵と義と聖と贖いとになられました。誇る者は主を誇れ、と記されている通りです」(一コリント一・三十、三十一)。

 神癒においても同じように、われわれは「錠剤」を飲まない。「今、あなたはこれこれのことをしなければなりません。そうするなら主は癒しの力でもってあなたに触れて下さいます」と、患者に処方箋を作成することもしない。これはわれわれ自身の義によって正しくなる問題ではないし、自分自身で覚悟して用意を整える問題でもない。というのは、ヤコブ五・十五に「その人が罪を犯していたなら、それも赦されます」とあるからである。全く無価値な状態にある――そして罪の中にすらある――衰弱した哀れな患者に必要なのは、全く明け渡した状態で主のもとに行くことである――イエスを招き入れることである!

 大切なのは主が賜るものではなく――主がいかなる御方なのかである!主は復活の命である!知恵である!義である!癒しである!主はかつて捕らわれ人を虜にして引いて行かれたように、これを再びあなたや私の内に為して下さる!古の時代に効力が主から長血を患っていた婦人に流れたように――もう一度再び――われわれもこの輝かしい流れの癒しのぬくもりを感じることができる。この効力はわれわれが主のために行うことにあるのではない。この効力はわれわれから主へと至るのではない。主からわれわれを通して流れるのである!


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