日中の暑さと労苦の後、われわれは寝ることにより安息と休養を得る。この睡眠の中から、われわれは目前の任務のための新たな力と共に目覚める。死の中からもわれわれは目覚める!われわれの栄光の主について、「もし一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままです。しかし、死ぬなら、多くの実を結びます」(ヨハネ十二・二十四)と述べられている。

 主の死の中から永遠の命という輝かしい収穫が花咲いた!主ご自身が眠った者たちの初穂となられた。死なくして復活はありえない。主がわれわれに復活の命を分与されるのは、われわれが主のために生きているからではなく、主のために、われわれが喜んで死んで、主にわれわれの内で主の復活の命を生きてもらうからである。

 堕落した状態にある人類の中に住むことはできないことを神は御覧になった。命の木から食べることによって人が堕落した状態で永遠に生きることがないよう、死が臨まなければならなかった。王の布告が発布された、「罪を犯す魂は死ぬ」。キリストが御民の中に住むことができるのは、ただ新創造においてだけだった。そのとき、神の御霊は人と呼ばれている実体の領域の中に再びご自身の住まいを定められる。それゆえ、予型としての旧約の諸々の犠牲と、一度限り永遠にささげられた、その本体としての新約の犠牲とは、われわれを死の中にもたらすだけでなく――死を通して――主の復活の力にももたらすのである。

 主がわれわれのためにカルバリの十字架の上で苦しまれたのは身代わりだった。主がこの呪われた木の上で死なれたのは身代わりだった。主はわれわれをご自身と共に十字架に連れて行き、それから、十字架からご自身の墓の中に連れて行かれた。そして墓を通って、われわれは主と共に最初の復活節の夜明けと、主の温かい永遠の光とを迎えたのである。主の最初の降臨の時、宿屋に主のための場所はなかった。受肉前の主の栄光は天を満たしていたが、それにもかかわらず、主が人の姿を取って、受肉の奇跡により、処女の母親から生まれた時、宿屋に主のための場所は見つからなかった。すでに満室だったからである!それと同じように、今日、主が内住のキリストとして降誕する時代、誰が自分の体を主の宮にして、主にこの土の器の内側に住んでもらうことを願うだろうか?もし満室なら、主はご自身の住まいを定めるための場所を見いだせないのである!

 主の来臨は命、光、健康をもたらすことを理解できてさえいれば、われわれは自分の利己的な肉的願望や目的に占有されるあまり、主を追い出してしまうようなことはなかっただろう。われわれの病と悲しみを担われた方は、来て、われわれにご自身の平安、安息、喜びを与えて下さる。

 主が来られる時、主は地に信仰を見いだされるだろうか?一歩進めて――主はわれわれである「地」の中に信仰を見いだされるだろうか?われわれが自分の行いをあまり気にせず、聖書解釈に関する自分の哀れな論争を忘れて、自分の存在を大きく開いて栄光の主に入って来てもらうようにするなら、栄光の世界の天使の合唱団による喜びの歌が再び始まるだろう。このような明け渡しにより、天全体が喜ぶだろう!あなたは主のために余地を設けるほど、主を信じているだろうか?


オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館へ

コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
トラックバック
トラックバックURL
コメントフォーム
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
全記事表示リンク
検索フォーム
個人のブログに関するリンク集
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

電子書籍
Glorious Secret
ジェシー・ペン-ルイス
「栄光の奥義」


The Cross of Christ
アンドリュー・マーレー
「キリストの十字架」


ランキングサイト
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

人気ブログランキングへ ブログランキング

ブログのまどランキングへ ブログ王へ

ブログランキング【くつろぐ】

QRコード
QR
カウンター

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ