平安、全き平安

 それから、平安である。ああ、神を愛するすべての人の心の中に神が植え付けて下さるあの麗しい平安の甘さよ!イエスが「私の平安をあなたたちに与えます!」と仰せられた時、それは弟子たちにとって何と素晴らしい日だったことか。それはこの世が知る平安ではない。なぜなら、そのような平安は偽物の、弱々しい、脆いものであり、問題という風が吹くなら、いつでも嵐の中に呑み込まれてしまうおそれがあるからである。

 神が与えて下さるこの平安は、人の理解力を全く超えている。この喜びはとても深いので、水面でどんな問題が起きても決してそれに影響を及ぼせない。この喜びはとても神聖なので、いかなる人の手も決してそれを奪い去れない。この喜びは魂の奥深くに据えられているのである!この平安は、ピラトの大広間にいた吠え猛る群衆の前で、イエスがその法的権威によって「保たれた平安」と同じものである。

 あなたに問いたい(なぜなら、われわれが真理を認識して受け入れることが必要だからである)。あなたに再び問いたい。「この平安を造り出すことがあなたにできるだろうか?心構えを切り替えたり、見通しを変えることで、それを生じさせることがあなたにできるだろうか?神だけが与えることのできる平安を育むことがあなたにできるだろうか?」。あなたも私もその答えを知っている!嵐のただ中で、愛の御腕の中に憩え。そして、「平安、全き平安、たとえ周囲で悲しみが荒れ狂うとも。イエスの懐には静かさしかない」ことを知れ。それは御霊によって分与される、神の平安である。われわれがすべきは、それを受けることだけである。これがキリストを中心とする命――キリストと共に神のうちに隠されている命の麗しさである。

 信仰も同じである。神は玩具として信仰を賜るのではない。それは、われわれを滅ぼすために働く玩具ではないし、御旨に反して働く玩具でもない。神は私の必要を知っておられる。あなたの必要も知っておられる。まっすぐに歩む者たちに良いものを差し控えることはしない、という約束を神は与えて下さった。それゆえ、われわれはこの約束に安息する。そして、主がわれわれの内に住んでおられるように、われわれも主の内に住む。

 主が臨在しておられること――主は理解して、顧みて下さっていること――を知るだけで、私はこの喜びを十分に知ることができる。神を愛する者たち、すなわち、御旨にしたがって召された者たちには、すべてのことが共に働いて益となることを知るとき、この喜びは永遠に湧き出るようになる。それから、われわれは安息を知るようになる。自己に信頼するのではなくキリストに信頼するようになるとき、この安息が生じる。なぜなら、われわれは自分の心配をすべてキリストに委ねるようになるからである。

 私はあなたに保証しよう。あなたの人生の中で御旨が進展して行くとき、信仰が必要な場合にそれが差し控えられることはない。なぜなら、あらゆる良い完全な賜物の与え主は、われわれの信仰の創始者であり完成者でもあるからである。


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