「それは成就した、と私は信じることにします。それは成就したと信じることができるなら、それは成就されるのでしょうか?」とわれわれは言ってこなかっただろうか?約束を見つめて、それから、自分の精神力を尽くして、自分自身の信じる能力によって結果を生じさせようとしてこなかっただろうか?しばらく前のことだが、ある哀れな、欺かれている人がいた。彼は紛れもなく自分の主を愛していたのだが、神を信じる自分の信仰を証明するために、蛇の入った籠の中に手を突っ込んだ。数週間彼は健康を害して、生死の境をさまよった。彼は無事回復したが、これは残念な出来事だった。真のクリスチャン経験と、神との聖書的歩みに対する多くの人の確信を大いに損なったからである。彼は紛れもなく神を信じていた。しかし、彼が信仰と称していたものは、罪深い自惚れの香りを帯びていたのである。

 数年前のある日のこと、私はインドの敬愛されている霊的指導者であるパンディータ・ラマバイの秘書の一人と長時間会話した。彼女は私に、どのように「コブラがムクティにやって来た」のかの物語を話してくれた。そしてそれに続いて、家や学校にいた少女たちを訪れて下さった聖霊の素晴らしい栄光に満ちた訪れについて話してくれた。ある晩のこと、何匹ものコブラが現れて、その集落にいた少女たちの多くに噛みついた。疑いもなく、数瞬の間、少女たちは大いに恐れた。しかし素晴らしいことに、主の御霊はこの緊急事態のための信仰を分与して下さったので、呻きや苦悶の叫びの代わりに、勝利と賛美の大きな叫びが天に立ち上った。致命的だったにもかかわらず、噛まれて死んだ少女は一人もいなかったのである!全員癒された。少女たちを切り抜けさせたのは、分与された神の信仰だったのである。

 信仰を信じる信条はあるが、信仰は信条以上のものである!山の上に岩が一つあるかもしれないが、山はこの岩以上のものである。この岩が「自分は山である」と言い張るなら、私はそれに向かって、「あなたは自惚れすぎです」と言う。強調すべき真理はこれである。人が自分の知力で造り出した材料を、霊的な薬用るつぼの中に混ぜても、それで信仰を造り出すことはできないのである。やや多めの確信と、追加の一つまみの信頼を、やや強めの信条に混ぜても――これに少しばかり他のものを加えたとしても――山を移す信仰ができることはない。あなたが自分自身の無力さを悟って、主にまったく依り頼むようになる時、あなたはこの分与された恵みの現れに最も近い所にいるのである。


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