信仰は二つのもののうちの一つである。神の賜物か御霊の実のいずれかである。これに疑いは少しもない。理性の回廊を調べるなら、必然的にこの同じ答えに至るだろう。もし「一粒のからし種のような」信仰に山々を移す力があるのが本当なら、このように強力な武器を神はわれわれに任せて持たせると、あなたは思うだろうか?神の定めにによらずにそれを持つことは、クリスチャンがそれによって神との調和・交わりの中を歩むことのできる案配や体系を全て壊すだけでなく、あなたや私のような弱い人々の手にわれわれを滅ぼしかねない道具を渡すことにもなる。

 私が言っているのは、信仰は物質的現れのためだけのものである、ということではない。その霊的反応は祝福の代わりに呪いとなるかもしれないし、成長の助けにならずに邪魔になるかもしれない、ということである。一度ならず、私は信仰を行使しようと努力してきたし、自分の祈りに対して自分の願い通りの答えを得ようとしてきた。しかし、その結果、続いて起きた出来事の光に照らして分かったことは、自分が願った通りに祈りがかなえられなくてずっと良かった、ということだった。

 こういうわけで神は、各自が神の御旨と調和して歩くのに必要な量の信仰を、各々の人に賜るのである。その量を超えて信仰が分け与えられることはない。この教訓は私にとってあまりにも麗しいものなので、それは私の心の中に、私が愛し仕えている主に対する感謝と賛美の歌を呼び覚ます。信仰が分与されない時、私には神の御旨が分からないかもしれないが、信頼して待つ。神が最善を目指して私の人生の中に働いておられることを知っているので、私は幸いなのである。

 われわれは、神が見えない時でも神に信頼し、理解できない時でも神に依り頼まなければならない。しかし、この信頼を信仰と呼ぶ間違いを犯さないようにしようではないか。信仰は、その度量と力に応じて、働き、動き、作用し、物事を成就する。もちろん、各々に信仰が与えられており、その信仰によってわれわれは自分を神の子供と呼ぶ。また、われわれは信仰の賜物・分与を受けており、その信仰のおかげで自分が死から命に移ったことを日々自覚する。


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