隠れた危険性

 しばらく前のこと、ある婦人が病気の幼子を私のところに連れてきた。その子は愛らしい小さな幼子で、絵のように可愛い静かなはにかみ屋だった。しかし、深刻な病が彼女の小さな体に取り憑いていた。この小さな少女の父親は、自分の大事な娘を愛してはいたが、主に対して反抗的だった。何年ものあいだ、彼の妻は彼が明け渡すよう祈ってきたが、彼はいつも言い訳をしてきた。われわれは一緒に祈った。三回、この小さな少女は祈りのために連れてこられた。信仰があったなら、彼女は癒されていただろう。しかし、彼女に信仰はなかったのである!

 母親が祈りに行った。後で彼女は私に電話をかけて言った。「プライス博士、神は私の夫を取り扱っておられるように感じます。夫は私たちの小さな少女を大いに愛しているので、主は娘を通して夫の心に届くことができると思います。あなたがもう一度祈って下さる時、夫も一緒に連れてこれたら素晴らしくないでしょうか?娘のために夫を跪かせることができたなら、おそらく、夫は間もなく自分自身のために祈るようになるでしょう」。

 次に彼らが祈りのために家に来た時、父親も一緒に来た。彼は礼儀正しく、優しく、自分の小さな少女を案じていた。しかし、私が父親に祈ることを求めた時、父親は「いいえ、私は偽善者になりたくありません」と言った。

 聖霊は父親を諭すよう私を導かれた。「兄弟、跪いて下さい。一緒に主を見上げようではありませんか。もしあなたがそうするなら、私は信じていますが、あなたがこの小さな少女を家に連れ帰る時、この子は救い主の御手の接触によって癒されているでしょう」。父親は驚いて私を見て言った、「あなたは本当にそう信じているのですか?」。そうです、と私は父親に告げた。すると、この人は跪いたのである!甘美なスカーフがこの小さな少女の体を覆った。イエスの癒しの力である。そして少女は、感謝と感恩の祈りのうちに期待の籠もった目を神に向けて上げた。父親が自分の心を探って明け渡しているあいだ、救い主はこれらの御言葉を父親に語られた。その御言葉は再生されていない心に平安をもたらしたのである。

 私が十分な信仰を持っていて、思いのままにそれを使うことができたと、仮定してみよ。そのような信仰は、必要な時に分与された信仰ほど多くの栄光を主の御名に帰していただろうか?父親の飢え渇いた心に与えられた罪の赦しの知識については言うまでもない。


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