われわれは――御言葉によると――霊的に信じるべきなのに、もがいて知的に信じようとするとは如何に愚かしいことか。あなたにはこれが分からないのだろうか?知的に黙諾して、頭で信じることも可能である。しかし、新しくされた思いは、恵みのあらゆる働きに対して、信仰によって「アーメン」と言う。本来、信仰は心の中に生まれるものである。心は非合理的なことでも受け入れる。知性が「無理だ」と言うことでも心は信じる。心は有るものを無いもののように見なし、無いものを有るもののように見なす。

 信仰はノアの腕に力を与えて、洪水の兆候は何も無いのに、百年間箱船を建造させた。理性が「徒歩による行進ではエリコの土台を摩耗し尽くすのに百万年かかる」と言ったとしても、信仰はその城壁の周囲を行進する軍隊を送る。信仰は一つの国民を深くて渡れない海の縁に送り出すが、その結果、その「海」の門は全能の力という水の蝶番の上で大きく開け放たれ、人々の通る道が海の底に設けられる。信仰はひるむことなく人々を火の炉の中に送り込むが、獅子の巣穴の中で彼らを保たれる。信仰は、体を眠らずに見張っている死を追い払う。そして、逃げた命を呼び戻す。信仰である!神の信仰である!信じようとする弱々しい、取るに足りない努力ではない。永遠なる御方の御力を理解しようと大いに努めることでもない。

 茶碗の中に海を入れることができるだろうか?一粒の砂が惑星を覆えるだろうか?私の貧弱な理解力が全能の神の栄光を理解できるだろうか?神の愛が無代価で与えられる時、神が御自身を私に啓示しようとされる時、その時はじめて、私は理解できるようになる。と言っても、それは部分的な理解にすぎない。なぜなら、神の栄光の豊かさを見ようものなら、いかなる肉も御前に生きながらえることはできないからである。神が赦しを与えて下さるとき初めて、私は救われる。神が御力を分け与えて下さるとき初めて、私は信仰の良い戦いを戦えるようになる。神が愛を与えて下さるとき初めて、私は自分の敵を赦せるようになる。神が私を引き上げて下さるとき初めて、私は悲しみと罪の世を超越することができるようになる。偉大なるかな、敬虔の奥義。夢想だにしない素晴らしさよ、神の贖いの御計画!

 必要を抱えている人よ、自己の道が尽きる所で、あなたはあなたを待っている主を見いだすだろう。あなたの信仰の創始者であり完成者である御方は、喜んでそこであなたと会って下さる。あなたの背後には涙と悲しみ、心痛と失望がある。それらは、信仰に欠けていて、神を信じる信仰の無い、この世の賜物である。しかし、イエスが立っておられる陽光の小道は、臨在の光で明るく輝いているのである!恵みを求めて彼に信頼せよ。彼の約束の上で安息せよ。彼は、あらゆる良い完全な賜物の与え主である。あなたが彼と共に歩む登り道は、ますます照り輝いて真昼になるのである!

 もしあなたが救いを得ているなら、それは彼が救いを分け与えて下さったおかげである。もしあなたが癒しを得ているなら、それは彼の功績のおかげである。もしあなたが信仰を持っているなら、それは彼の御心の中からあなたの心の中に信仰が流れたおかげである。それこそ、山を移すことのできる唯一の信仰なのである。

 あなたはそれを得ることができる。なぜなら、彼はそれを与えて下さるからである!その時、あなたは確かに知るだろう。信仰――あなたを健やかにしたあなたの信仰――は神からの賜物であることを。


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