こうしたすべてのことにより、癒しよりも癒し主を求めることの方が遥かに重要である、と私は信じるようになった。その隠れた臨在の中には、魂のための隠れ家がある。生活の中からこの世やそれとの接触がなくなる時、神が与えることのできる物事のための余地が生じる。われわれの祝された主が、山々を移す信仰について弟子たちに述べた御言葉の最後で、主は弟子たちに「誰かに恨みや悪感情を抱いているなら、その人たちを必ず全員赦してあげなさい」と述べておられることに、あなたは気づいただろうか?どうして主は、山を移す信仰というこの重大な学課に関連してこれを述べておられるのか?これは次の事実のためではないだろうか?すなわち、神が御自分の信仰をわれわれに分け与えることを望まれる時、神は憎しみや赦さない精神で詰まっている水路があるのを見たくないのである。

 人の性質のこの諸々の脆弱性が、あらゆる面でわれわれを悩ませる。良き主はそうであることをご存じである。どれほどの忍耐と顧みをもって、主はわれわれを見守らなければならないことか。どれほど多くの時、主の恵みはわれわれの不完全さを覆う毛布のようにわれわれを包み込むことか。われわれが愛されるのに相応しくない時に、われわれは主の愛の御声を聞く。父親が自分の子供たちをあわれむように、主は御自分を畏れる者たちをあわれまれる。主が御自分の信仰という恵みを分け与える前に、主は生活や振る舞いの完全さを要求される、と言っているのではない。そうではなく、主が御自分の祝福を分け与えるために、主がわれわれに要求されるものが何かある、と言っているである。無限の永遠の愛である神は、御自分の子供たちの心の中にいかなる悪意もあって欲しくないのである。これほど多く赦されてきたわれわれが、どうしてわれわれに対して罪を犯してきた人々を赦すことを拒むことができよう?

 主が言わんとされたことは明らかである。神の信仰である信仰の受け取り手になりたいなら、自分に対して罪を犯した人を全員赦さなければならない、と主は言っておられるのである。このように明け渡された心の中に――自分自身の無力さのゆえに魂が神の必要性を叫ぶ時――神の信仰という恵みが臨む。そしてそれと共に、それはそこにあるという意識が芽生えるのである。


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