あなたはどちらか?

 自分の生活上の必要のためにイエスから引き出すという学課を、あなたは学んできただろうか?主の中に住む甘さを見いだしただろうか?結局のところ、自分は悲惨な失敗であることを、あなたは悟っただろうか?自分が抱えている大きな必要と、勝利するのに必要な力に欠けている自分の惨めさとを、あなたは意識する境地に達しただろうか?自分の義しさを強烈に意識していて自分の行いを大いに誇っていたパリサイ人が履いていた靴を履くよりも、むしろ、宮の階段の所にいた取税人の靴を履くことを、あなたは望むだろうか?われわれが減少する時だけ、イエスは増し加わることができる。これは、われわれの自己の命、自尊心、自信の減少を意味する。

 砂の上に建てられた家は自分を誇らしく感じた。しかしそれは、風が吹き、嵐が荒れ狂い始めるまでのことだった。

 キリストはあなたのすべてのすべてとなることができる。美しい神学の枠の中にはめられた絵の中でだけでなく、過ぎ行く年月の毎日毎瞬、実効的かつ現実的にも、そうなることができる。キリストは「私を試してみなさい」とあなたを招いておられる。「私を試みてみなさい」とあなたに勧めておられる。溢れ流れるほど満たされることができるのに、どうして空っぽでいるのか?養ってもらえるのに、どうして飢えているのか?自分の明日の道が分からなくて泣きながら、どうして迷子の子供のように人生の不毛な荒野の上をさまよっているのか?それよりも遥かに優っているのは、あなたの手を御手の中に置いて、「私に従いなさい。私があなたを家まで案内します」というキリストの神聖な御声の囁きを聞くことである。

 その時、作り話のアラビヤンナイトでは夢にも思わなかったことがキリストにあって現実となる。砂漠は花の小道に変わる。そして、心臓の鼓動は天の鐘の紐を引き、ついには天の音楽が死ぬべき耳にも再び聞こえるようになる。岩山は、聖徒たちと共に変容される会合場所へと至る登り道にすぎなくなる。われわれがキリストを愛する時、キリストはわれわれを導いて案内して下さる。この道を一歩づつ、ますます導いて下さるのである。

 ああ、私の魂よ、思いにおいても行いにおいても、自分の業績を今誇ってはならない――永遠においても誇ってはならない。微かな奉仕という星は、十字架から流れ出る光の中では、実に暗く思われる。その木の上で傷ついた御手を涙を通して見る時、われわれ人間の手がなした労苦は忘れられてしまう。われわれが誇って身に付ける称号や学位は、十字架の頂にある刻印を見る時、恥じて顔を伏せる。われわれが行ってきたことは、彼が行われたことと比べると、あまりにもちっぽけに思われる。彼の指導力は何と素晴らしいことか!その恵みは何と驚くべきことか!われわれのすべての必要を満たすのに十分すぎるほどのものを彼は今ここで分け与えて下さるという真理は、聖霊の力によって照らされたことのない知性にとって、何と思いもよらないことか。彼は今そうして下さる。彼は依然としてエルシャッダイ、十分な神である。


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