私は消極的な説教や書き物が断然嫌いである。話し手や著者が病について論じるだけでは十分ではない。私の魂と精神を満足させるには、私を治してくれなくてはならない。何が間違いかを指摘するのは簡単である。だが、何か正しいのかを私は知りたいのである。時として、これは人が思うより少しだけ難しい。しかし、最終的にうっかりミスを正して、真理の道に立ち返る時、もしかすると、神の摂理により、その間違った道がわれわれに祝福という遺産を残してくれているかもしれない。

 何年の前のこと、私は定期的に訪れる山岳地帯への訪問の途にあった。その山岳地帯のへりはアラスカの岩礁に面していた。このグレイト・ホワイト・サイレンスの地に訪れた人が迷子になった。私は彼に、居場所が分かる谷に戻る小道について話した。二時間後、彼は私の野営地に戻った。彼は私に、「私は混乱していて全く動転しています」と言い、「方角がはっきりするまで、優しく同行していただけないでしょうか」と求めた。私はそうした。その地方と小道を知らない人が、そこを一人でさまようのは危険だったからである。数週間後、私はその人から感謝状を受け取った。その手紙の中でこの人はとりわけこう述べていた、「あなたが正しい道にあることを知るのは素晴らしいことですが、間違った道にいた後、正しい道に戻ることは、祝福を増してくれます」。

 これは何と真実であることか!ほころびそうなつぼみや、柔らかな新緑をわれわれがありがたく思うのは、雨降りの後である。穏やかな青空の一日をわれわれがありがたく思うのは、嵐の雲が過ぎ去った後である。本書を通して、信仰の勝利の完全な結果を見たことのない親愛なる神の子供たちを導いて、聖書の明確な教えと究極的勝利に立ち返らせることができるなら、私の心は幸いであるし、祈りをもって書かれた本書はその使命を果たしたことになる。

 とりわけ私があなたに見てもらいたいのは、あなたはそれを生み出すことができない、ということである。あなたはそれを増すことはできないし、造り出すこともできない。それは神ご自身によって分与され、息吹きこまれるものである。自分の家の中に座して信仰を持とうともがき、成就したと確証することはできない。また、自分の希望や願いを自分自身の力で信仰に転じることはできない。信仰を得ることができるのは、ただ主からのみである。なぜなら、御言葉が明らかにはっきりと述べているように、信仰は二者のいずれかだからである。信仰は神の賜物であるか、御霊の実であるかのいずれかなのである。

 コリント人へのパウロの手紙が述べているように、「さて、いつまでも残るものは信仰、希望、愛です。しかし、その中で最も大いなるものは愛です」。愛は最も大いなるものかもしれないが、それが最初ではないことは確かである。愛には信仰が先立たなければならない。あなたの窓の外を見て、向こうの木を見よ。何と均衡が取れていて美しいことか!ただ神だけが木を造ることができる。その折れ曲がった枝々は美しい。どの葉もそれ自体が小さな世界であり、その小さな葉脈は神が供給される命を運ぶ。神の供給は、木が自然界の中で持っているものをすべて木に与える。地表の下には、根という一大組織が隠されている。根を見ることは決してないが、それでも、根がなければ木は死んでしまう。まったく命を失ってしまう。


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