「大事なのは、答えが来るまで決して諦めないことです。私は五十二年間毎日、私の若い頃の友人の二人の息子のために祈ってきました。彼らはまだ回心していませんが、いずれ回心するでしょう!そうでないことがどうしてありえるでしょう?エホバの不変の約束があります。そして、私はそれに信頼します。神の子供たちが犯している大きな間違いは、祈り続けないことです。彼らは辛抱しません。神の栄光のために何かを願うときは、それを得るまで祈るべきです。ああ、私たちが関わっている御方は、何と素晴らしい、親切で、謙った御方なのでしょう!この御方は、私のような無価値な者に、私が求めたものや思ったものの全てを無限に上回るものを与えて下さいました!私は哀れな、脆い、罪深い人間にすぎません。しかし、神は私の祈りを何万回も聞いて下さり、数万人の人を真理の道にもたらす手段として私を用いて下さいました。数万人というのはこの国やよその国でのことです。このつまらない口で大群衆に福音を宣べ伝え、とても多くの人が信じて永遠の命に至ったのです」。


 このようにジョージ・ミュラーは語った。このように時の人である人は語った。というのは、ミュラーがまだ生きていた頃、少年の私はブリストルにいたからである。このように、水は泉から湧き、花は根から生じるという学課を学んできた人は語った。神の信仰はただ神からのみ生じるのであって、他のどこにも見いだしえないことを、彼は学んできたのである。与える恵みをこんなにも惜しみなく与えて下さる御方は、恵みを効率よく受ける方法を御自分の弟子たちに教えて下さるということを、彼は学んだのである。金が必要な時、彼が行ったのはそれを持っている人のところではなく、金を持っている人の心に語りかける力を持つキリストのところだった。彼の信仰は、主との日々の生き生きとした接触のおかげだった。また、彼は神の御旨の中にあったので、あらゆる必要を満たすのに十分すぎるほどのものを与えられたのである。

 人々は彼のことを「十九世紀の信仰の使徒」とよく称してきた。自分のことを人々がこう述べるのを、彼は聞いたにちがいないと思う。彼がヘブル人への手紙の十一章を読んだことがあるのかどうか、私にはわからない。人々が自分の名をこの信仰の英雄たちの巻物に加えている事実に、彼が気づいていたのかどうか私にはわからない。もし気づいていたなら、彼はヘブル人への手紙の十一章の最後の節、「神は私たちのためにさらに優ったものを用意しておられたのです」を読んで、微笑んだにちがいないと思う。そして、その優った道が何であるのかを、そのすぐ二節後にある御言葉、「私たちの信仰の創始者であり完成者であるイエスを見つめなさい」に見いだしたにちがいない。

 だから、今イエスのもとに行け。彼に信頼すること、彼は御自分の信仰を分与できることを学べ!あなたの必要を彼に知らせよ。あなたの悲しみを彼に告げよ。そうするなら、彼の臨在という聖所の中で、内外からあなたを悩ませる騒音や心配からの安息と自由を見いだすだろう。

「主の優しい御声をわれらは聞く、
 息のように穏やかな御声を。
 この御声はすべての思いを見守り、すべての恐れをしずめて、
 われらに天について告げる。」



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