だからこれが、ヘブル人へのパウロの手紙が言うところの優った道である。これが、この書のいわゆる信仰の章の背後にある、目的であり動機である。主の慈しみと寛大さが示されるのを前にして、あなたは驚いて立ち尽くしたことがないだろうか?主は正しく歩む者たちに対して良いものを何も差し控えないことを、あなたは知らないのだろうか?あなたは必要を抱えているだろうか?それをイエスのところに持って行きなさい。あなたは問題を抱えているだろうか?それを主の足下に置きなさい。主に信頼することを始めよ。主に信用と信頼を与えるなら、主の信仰が自分の内に働き始めるのがわかるだろう。主の信仰は海のように無限だというのに、どうして自分の苦闘や努力という茶碗をもてあそぶのか?

 主は人を偏り見ることがない。主はわれわれ全員の中の最も弱い者や最も単純な者を愛しておられる。しかし、われわれはあまりにも自尊心を抱いており、自分の霊的達成をあまりにも誇っている。そのせいで、われわれの証しが示すものというと、空しいことに自己の義だけなのである。主はそれを御覧になる――汚れた布切れである義を御覧になるのである!われわれは幼子の純真な霊の中で御許に行く必要がある。心の鐘楼の中の愛の鐘を鳴り響かせつつ、御許に行く必要がある!「自分は価値ある者だ」と感じるようになるまで待っても無駄である。なぜなら、われわれは決してそのような者になることはないからである。幼子のようにこの御方のもとに行け。この御方は昔、幼子を自分たちの間に立たせて、「幼子のようにならない限り、あなたたちは天の王国に入れない」とパリサイ人に言われた方である。

 イエスに穏やかに忍び寄れ。恵みの時代、クリスチャンのための信仰はキリストにしか見いだせない。しかし、われわれの祝された主は、自分の必要を全て満たすのに十分な御方であることを、あなたは見いだすだろう。ノアが持っていたのは良いものだったが、われわれが持っているものの方が優っている。ノアには神の御言葉があったが、われわれには神の御子がある。ノアは神の御言葉に基づいて建造したが、われわれの基盤はイエスご自身である。だから、この素晴らしい章全体にわたって、神の栄光の現れが列挙されているのがわかる。神を信じて、神と共に従順に歩んだ人々の行いによって神の栄光が現れたのである。そのうちの一人でエノクという名の人は、ある日、神と共に歩んで、戻って来るのを忘れてしまった。神から発する信仰が神の御子の姿で地上に訪れた時、パウロはヘブル人にこう言わざるをえなかった、「先人が持っていたのは古い信仰ですが、ここに新しい信仰があります。先人たちには良い道がありましたが、これはさらに優っています」。


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