Pilgrim Holiness Advocate 誌 三四巻―― 一九五四年十月一六日 ―― 四二号

 経験上また結果的に、律法の下にあることと恵みの下にあることとの間には根本的違いがある。律法は倫理性を要求したが、それを生み出す何の手段も提供しなかった。恵みはわれわれを引き上げて霊性の中にもたらす。そこで律法の要求はすべて満たされる。律法の旧経綸の下では僅かな人だけが、新経綸の下で霊的性格と霊的命を生み出す同じ聖霊による特別な主権的接触によりそうされた。この御言葉を私はあるとても素晴らしい章から取った。パウロは山頂に向かって御霊の中で登っていた。彼は二種類の知恵があること、そして、一方を退けてコリント教会に対する務めでそれを用いることを拒んだことを述べた。彼はこの世の知恵を持っており、ガラテヤ人への務めではそれを少しばかり用いた。彼はギリシャの無名の詩人の句を引用できた。ギリシャ文学とギリシャ哲学に関する彼の知識は正確で広範に及んでいた。不可知論に出会った時、彼は為す術を知っていた。

 コリントはギリシャ哲学者でいっぱいであり、修辞学と論理学が盛んだった。ギリシャのどの都や町にも公共の広場があって、そこで文法学者や哲学者たちはいつまでもギリシャの文化や文学を扱っていた。パウロはコリンの人たちを彼らが好む甘い口調でもてなしただろう、とあなたは思ったかもしれない。しかし、そうではない。彼は言った。「私はあなたたちの間でイエス・キリスト、十字架に付けられた方以外、何も知るまいと決意した」と。私は雄弁術を用いないことを決意した。私が来たのは「人の知恵の魅惑的な言葉と共にではなく、御霊とその力の現れと共に」であった。この「力」という言葉は、この世の知恵にまさに欠けているものを表している。この世の知恵に力はない。この世の哲学者たちは人の心を変えたことが決してない。

 人の知恵を用いることを拒むもっともな理由を彼は与える――「あなたたちの信仰が人の知恵によってではなく、神の力によって立つようになるためである」。善人がそう言ったから、そう教わってそれに説得力があるように思われるからという理由で信じるなら、あなたは確実に砂の上に建てているのである。

 ギリシャやローマで最高潮に達した論理的思考を上回るものが、この世の知恵の中にあるのかどうか私は疑う。ギリシャ人やローマ人が当時行使していた知力に匹敵するものが、それ以降何かあるのか私には疑問である。それにもかかわらず、この知恵は深刻な試みの下でぺしゃんこになってしまった。「この知恵をこの世の君たちは何も知りませんでした。もし知っていれば、栄光の主を十字架につけたりしなかったでしょう」。イスラエルの偉大な宗教家たち、偉大なローマ人たち、ギリシャ哲学に満たされていた人たちはみな、栄光の主を好きなように扱った。彼らは主のために十字架以外の場所を見つけられなかった。今の時に至るまで、彼らが真に神に属する者たちに手をかける時は常に、その人を十字架につけてしまうのである。神の書物を彼らに手渡せ。そうするなら、彼らはそれを十字架につけてしまう。それは彼らにとって愚かなものだからである。聖霊を捕らえて木にかけることができるなら、彼らは聖霊をも十字架につけるだろう。


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