最後に、あなたの任務は、宗教的方法で人々に影響を及ぼすことではない。あなたの友人たちを導いて、自分自身に打ち勝つことを学ばせることにより、その諸問題を克服させて、良い実を生み出すことである。イエスは命――神の下にある本物の命――を与えることを願っておられる。宗教的感情や意見は重要ではない。この世が必要としているのは、命の人々であって、敬虔な偽善者たちではない。

 人々に何らかの宗教経験を無理強いするような宣教活動は、まさに大きな失望という結果に終わるだろう。私たちはただ自分の存在――それはできるだけ単純明快でなければならない――を通して手を差し伸べなければならない。神が人々の心を開かれるまで待て。私たちが教え込もうとすることは必ず、地に落ちて粉々になるだろう。できるだけ自分の義務を果たせ――何か偉大なことを成し遂げようとして、やりすぎてはならない――そうするなら、あなたの内面は神の御前で強くなるだろう。

 何か壮大なことを行うよう、私たちは求められていない。私たちに任されている任務は、キリストの霊と神の愛という光を、必要を抱えている人の世に、静かに与えることである。どんな嵐もこの光を消すことはできない。この光を暗闇は征服できない。

 中国人が抱えている必要を正確に理解すること、そして、その必要に応じる最善の方法と場所を知ることに、力を尽くせ。人々の必要や環境は異なっているが、人々の間の相互理解の原則により、国家的また宗教的な敵対心や嫉妬に終止符が打たれるだろう。今まで、神観念の異なる諸々の宗教が、分裂の源だった。しかし、互いに対する敬意をもたらす信仰が、平和の源となるだろう。これが、宗教的宣伝活動に決して携わってはならない理由である。その代わりに、すべての人を、他の人々や私たちと同じく、神の子供と見なせ。このような方法により、あなたのもとに来る学生や人々によって、真の純粋さが表されるだろう。

 このような意味で、聖職者や宣教士の任務からあなたがますます退きつつあるのは、よいことである。そのような職務は神からではなく、人々から出ている。地位の名目で事を行うのは、イエスの御名の中で事を行うのとは、まったく別のことである。それゆえ、改宗活動のパン種に常に注意せよ。万民と同じ水準にとどまれ。人々の心を変えることは、あなたの仕事ではない。あなたが日常生活の中で神の御前に正しく立ちさえするなら、神の御霊が御旨にしたがってこれを行って下さるだろう。

 あなたが宗教的なものを付け加えたり、宗教的な罠をしかけてもいないのに、人々があなたからイエス、神の力なる人を感じ取るようになら、喜べ。然り、彼らはその方法を知らなくても、あなたの働きが及ぼしている影響に身を委ねているがゆえに、神の王国に入ることができる。もちろん、それはあなたの働きではなく、神の霊の働きである。

 数百万の人々が溜め息をついている。キリストは彼らのところに来て、天の王国をもたらされるだろう。私たちは、自分の目標はこの世界を自分たちの手ではなく神の御手にもたらすことであることを完全に覚えつつ、神の時を待たなければならない。キリスト以外の何者も、この世界に対する権利を持っておらず、父なる神の栄誉を受ける権利を持っていない。


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