人々とあたたかい関係を築いて、その信頼を勝ち取るまで、決して説教してはならない。よそよそしくあってはならない。「ユダヤ人にはユダヤ人のように、ギリシャ人にはギリシャ人のようになりました。それは幾人かでも勝ち取るためです」(一コリント九・二〇)。そうしてはじめて、説教すべきである。しかし、それでも注意が必要である。なぜなら、人々に光を与えるのは私たちの説教ではなく、私たちの生活でなければならないからである。私たちに必要なのは、さらに多くの説教者ではなく、さらに多くの御霊だけなのである。

 人々が神の王国の証拠を見る前に、私たちがそれについて述べたところで、どうして人々は理解できよう?今まで人々が目にしてきた「王国」といえば、たんなる偽善、暴力、抑圧にすぎないのである。もしあなたが別の仕方で生活して、民衆自身の水準に立って人々と会うのでなければ、人々は神について何も理解しないだろう。

 これを心に留めて、国民的慣習を性急に退けてはならない。結局のところ、私たちヨーロッパのクリスチャンがクリスマス・ツリーを飾ったり、子供の墓でロウソクをともし、そこに何時間も座って、死者を偲ぶのは、慣習以外の何ものだろう?キリストにある新しい信者は、何らかの文化的慣習を差し控えて他の人々を怒らせる前に、まず神の愛によって、自分が神の子供であることを証明するべきである。

 これは、もちろん、クリスチャンの慣行とは対照的である。御霊と愛に基づいて建て上げる代わりに、クリスチャンの諸教会は世間の慣習に反対することに力を費やしている。しかし、キリストの使徒たちは宮に入り、初代の多くのクリスチャンは偶像に献げられた食物を食べたのではないだろうか?御霊がすべてに浸透するときはじめて、このような慣行はやむだろう――そしてこれはもともと、慣習や習慣を少しばかり拒む党派を設立することよりも、はるかに困難なことなのである。

 それゆえ、人々と肩を並べて立て。たとえ、異端者と見なされる危険を犯しても。心の正しい人々は、それでもあなたのもとに来るだろう。


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