神は常に個人をご自分に召される。人々の一般的な考えや行動は関係ない。神は、ご自分の選ぶいかなる場所にも、命を栄えさせることができる。教会の苗床からなおも神聖な命が花開くことができるのは、そのおかげである。

 そうではあるが、私たちはなおも何かまったく新しいものに自分自身を献げる必要がある。すべての人々や国々のために扉を開いて、前進する道を示す何かのために、自分自身を献げる必要がある。いったん人々が正しい道に就くなら、彼らは神聖な事柄に関するさらなる理解を得ることができる。個人の回心は一時的方法にすぎない。個人の回心それ自体は、パリサイ主義の罪に陥りかねない。単独でバプテスマされた人はすぐに思い上がり、自分は特別な人間であって、時折誰かに霊的抗議をすることができると思いかねない。

 私たちが欲しているのは、すべての人――善人や悪人、義人やそうでない人、貧しい者や富める者、クリスチャンやそうでない人――を一網打尽にすることである。そして、人々を変え、篩にかけ、心を導く働きは、一つにする神の御霊に任せることである。これが「人々をバプテスマする」という言葉でイエスが言わんとされたことである。人々は捕虜のように神の王国の中に来るだろう。しかしおそらく、自分に何が起きているのか、人々は気づかないだろう。そして、彼らは命を見いだすだろう。

 それゆえ、文化的慣習をまったく顧みないクリスチャンたちの横柄さに警戒せよ。このクリスチャンたちは孔子に敬意を払うべきである。なぜなら、尊敬こそ真の礼拝の始まりであることを見たのは、孔子だったからである。私たちは各々、この尊敬の念を抱かなければならない。敵さえも尊敬しなければならない。自己義認の精神に、たとえ遠くからであっても、毒される隙を与えてはならない。教会組織に堅くしがみついているいかなる人も、たとえ最善の人でも、私はもはや信頼しない。彼らはみな、あまりにも酷い霊的高ぶりに陥っている。たとえそれをどれほど隠そうとしていても、そうなのである。


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