宣教の働きは、それがどうなされるかには関係なく、余計である。私はこれをさらに強調しよう。現在の宣教の働きは危険である。なぜなら、日常生活の中に押し入り、未信者の道徳や習慣を独善的に攻撃しているからである。私たち西洋のクリスチャンたちは、究極の倫理学者になってしまった。しかし、「失われている人たち」が真に望んでいるのは何か?善良な人々は至る所で、「どうやってこの地上で生きていけばいいのだろう?」という疑問を抱いている。宗教からの答えを彼らが何も望んでいないのも無理はない。彼らは宗教を恐れてさえいる。なぜなら、宗教は生きる力を与える代わりに、やる気をそぐからである。解放する代わりに、縛るからである。

 キリスト教も同様である。クリスチャンたちは真理の力に対する生ける証し人ではない。神の支配権がクリスチャンたちに影響を及ぼしていたなら、儒教やイスラム教の尊敬すべき道徳家たちを真理は征服していただろう。

 今日の諸教会は、あまりにも多くの神なき慣習で一杯なため、神の目から見て異教徒以上のものではない。「神の御前で持つべき栄光に彼らは達していません」(ローマ三・二三)。私たちの密かな望みは、未信者がいつまでも不信仰の中にとどまらないことであり、クリスチャンがいつまでもキリスト教の中にとどまらないことである。私たちは何か新しいもの――キリストの霊による、神にある命――を求めているのである。


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