「自分はなぜクリスチャンなのだろう?」と多くのクリスチャンは実際に考えたことがないのではないかと、私は疑っている。真の福音以外の多くのものが宣べ伝えられている。真の福音とは、神は人類を造り直して――天だけでなく――地をご自分の栄光で満たすことを願っておられるということである。しかし、私たちのあまりにも多くの者は、宗教のキリストに満足している。異教徒のように、死後の幸福を私たちは求めている。私たちは地を諦め、自分自身や他の人々を諦めている。私たちの唯一の関心は幸いな死であり、地上における神の王国ではない。

 「人々が人生の最後の時に安らぎを受けるには、自分たちのようにならなければならない」とクリスチャンたちが考えるなら、私たちは「否!」と反対しなければならない。キリスト来臨の前に、安らかに死んだ多くの人々がいたのである。キリストがこの世に来られたのは、そのためではない。キリストが来たのは、真の男女を創造するためである。まさにこの地上で、ご自分の真理、正義、愛があがめられるようになることを、神は欲しておられる。これが実現する時はじめて、私たちは自分が完全な人であることを立証するのである。

 神は人類を贖おうとしておられる。しかし、この贖いは人の業績とは大違いである。人々がいるところでは必ず、偉大な働きがなされるだろう。確かに、今日、多くのことが達成されているが、その原動力は自分の利益以上のものではない。

 最近、私はサモアの宣教団について聞いた。彼らが直面したことは、真に注目に値する。そこの人々はその日暮らしで、ほとんど何も考えていないが、喜びに満ちており、幸福なのである。土地や木は共有で、誰にも心配事がない。彼らは互いに満足している。しかし今、この宣教団は私有財産制を導入したいのだという。このクリスチャンたちが望んでいるのは、土地を売ることであり、物質的利益のために競って野心的になる術を教えることである。そして、こうして彼らを目覚めさせて、そこにヨーロッパ文化をもっと容易に確立できるようにすることである。人の業績が導入されている。まるで、大切な唯一のことは自分たちのヨーロッパ文化であるとでも言いたげに。

 私は言う、この人々をそっとしておきなさい!彼らが単純なまま栄えるようにせよ。彼らがヨーロッパ人になる必要は無い。私たちのように不真実な者になってはならない。なぜなら、今の暮らしの素晴らしさにもかかわらず、果てしない嘘が社会中を駆け巡っており、私たちを完全に抑圧しているからである。

 確かに、人々には助けが必要である――しかし、彼らの内にある神の愛は、私たちヨーロッパ人の嘘をすべて結集したものよりも、すでに遥かに強いのである!私たちの任務は「新しい人を着る」(コロサイ三・九~一一)ことである。もしこれを行うことができるなら、そして、もし私たちの神学やキリスト教がまだ私たちを殺してしまっていないなら、私たちはイエスのために熱心な民になれるだろう。キリストだけが私たちの光であり命である以上、私たちは少しの助けにもならない。宗教的談話は無用である。皆が一緒に角に座って祈り、聖書を読む宗教団体の類のものを造ることは、誰の助けにもならないだろう。そうではなく、世の中の嘘を取り除くために働け。真実な心をもって神の真理の力の中に生きるよう努めることによって、助けよ。


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