自分の霊的益のために用いられた僕に対する新たな態度

 癒される前、ナアマンはエリシャにとても怒りました。怒って立ち去ろうとしました。しかし今、エリシャのもとに来ます。今や名声の問題はなく、今や自尊心の問題もありません。彼は直ちに真っ直ぐエリシャの庵に向かいました。祝福の器との交わりを求めました。もはやこれを恥ずかしいとは思いませんでした。

 交わりは命の中で確立されるというこの原則は広く適用することができます。命の分かち合いが交わりの基礎だからです。命を一度でも真に分かち合うなら、交わりの基礎が築かれ、分裂させる要素はすべて除き去られるからです。

ナアマンはエホバを礼拝した

 彼はエホバを礼拝して言いました、「私は今、イスラエルのほか、全地のどこにも神のおられないことを知りました」。これは事実を述べたものであるだけでなく、試金石でもあります。主の復活の命を知る純粋な知識は、主をあがめること、主を礼拝すること、主御自身への献身となって表れます。教えを受け入れただけなら、あまり遠くまで進めません。ある運動と関わりを持つだけなら、これには及びません。しかし、主の復活の力を個人的に知るなら、私たちの生活は主御自身に対する深い敬虔な献身という印を帯びるようになります。確かにこれが証しです。証しは私たちが話すべき事柄ではありません。私たちの教え、私たちの体系、私たちの運動ではありません。地上で何か特別なものを代表するものとしての私たちの交わりですらありません。証しとは私たちの主です!自分たちが受け入れた教えや、ある場所である人々が代表している教えについて話しているのを、決して人々が見ることのないようにしましょう。次のことに気をつけましょう。私たちにとって、これは主の問題なのです。そして、この教えがもし私たちを主にもたらさないなら、どこかが間違っているのです。おそらく、教えではなく私たちの理解が間違っているのでしょう。礼拝が、キリストの復活の力を知る人々の支配的特徴にならなければなりません。


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