こういうわけで、私たちは次の事実に導かれます。復活の命によって主に全く有用な者となるための準備は、私たちはある経験を通らなければならない、ということを意味します。その経験により、私たちの力は終わらされ、肉の強さはヨルダン川に葬られ、キリストの復活の力を見いだしたおかげで初めて前進できるようになります。

 エリヤの体を探すことでは、あなたは天然的な知性を働かせました。食物を探すことでは、天然的な心を働かせました。斧の頭を失ったことでは、天然的な意志を働かせました。知性、心、意志は、すべて死を通って、キリストの復活の力の領域に達しなければなりません。

 このように、預言者の息子たちとのエリシャの関係は絵図に満ちています。予型論しか考えないなら、的を外すかもしれません。私たちが予型論を用いるのは、物事の霊的側面に達するためにすぎません。新約聖書に行って、この原則や他の原則、別の原則を据えるのは、いとも簡単です。しかし、それは単なる発言にすぎないおそれがあります。私たちはこれまで、旧約聖書に行って、様々な原則を図解することを好んできました。それらの原則はまごうことなくはっきりと新約聖書の中にあります。例えば、霊の事柄に関する限り、十字架は天然的知性の終結を意味する、というようなことです。「キリストのものである者たちは、肉とその情欲を十字架につけてしまった」ということを十字架は意味します。「私」の力はキリストと共に十字架に付けられなければならないことを、十字架は意味します。しかし十字架はまた、知性、心、意志の中に、キリストの復活の力が確立されなければならないこと、そして、それは可能であることを意味します。

 この預言者の息子たちは、最初にこの立場を受け入れました。他方、それが彼らの中に造り込まれることは、経験を通して段階的に進みました。その各段階は、エリシャとの関係の意義、自分たちの頭であり命の統治原則である彼にまつわるものを、彼らの内に現実化するものに他なりませんでした。

 そこに私たちを導く諸々の経験を私たちは通ります。しかし、それらの経験を通る時、私たちはキリストとその復活の力を知る地点に達します。

 主が私たちにその意義をもっとよく教えて下さいますように。


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