最後に、六章一~七節です。「私たちがあなたと共に住んでいる所は狭くなりました」。家を広げたいという願いは、とても結構な願いかもしれません。これについて言うべきことは何もありません。預言者の息子たちは斧を取って下って行き、拡張のための資材を精力的に集めました。家を広げるために一連の行程に取りかかりました。木を倒している時のことです。一人の人の斧の頭が外れて水の中に――ヨルダン川の中に――落ちてしまいました。これは不幸な出来事でした。しかし、不幸な出来事の中には常に教訓が潜んでいるものです。ここで描かれているのは力の要素です。この力は斧によって示されています。斧は力の象徴です。斧は行動の力を物語っています。しかし、この物語に出て来る人の斧は緩んでいました。彼の力、エネルギーは、量的にも質的にも不確かなものでした。そのため、完遂することができず、途中で壊れてしまいます。このたとえ話は極めて明白です。それを当てはめる必要はほとんどありません。目的、意図、動機は良いものであり、目的は大いに称賛すべきものでした。しかし、人が主導権を握っており、その力は人からのものでした。神の事柄では、人の力は量的に極めて不確かなものであり、遅かれ早かれ破綻してしまいます。そして、死の状況が生じてしまいます。その斧の頭はヨルダン川の底にあるからです。

 少しの間とどまって、聖書の別の箇所で述べられている斧の頭について思い出すことにしましょう。事故で他人を死なせてしまった人のために備えられた逃れの町のことを覚えておられるでしょう。次のような描写があります――二人の人の事例が想定されています。この二人はある日、木を切り倒すために森に出かけました。すると、一方の人の斧の頭が外れて他の人に当たったので、その人は死んでしまいました。興味深いことに、この事例は人が事故で死ぬ有様の描写として引用されています。逃れの町は人を死なせてしまった人のために備えられました。それは、血の報復者が死んだ人の命のためにその人の命を奪うことがないためでした。しかし、思い出さなければなりません。あなたの斧の頭が緩んでいないかどうか注意する所定の責任があるのです。「あれは事故だった」と言うのは全く大いに結構なことです。しかし、仕事を始める前に斧の頭がしっかりとついているかどうかを確認する責任についてはどうでしょうか?ここには道徳的原則が含まれています。

 ここでは、ある人が斧を借りて仕事を始めました。しかし彼は、自分の斧の頭が完全に安全かどうかを決して注意して見ませんでした。その緩んだ斧の頭は、ヨルダン川に落ちる代わりに、他の人の頭に当たっていたかもしれません。そうなっていたら、死の問題が生じていたでしょう。原則的には同じことです。道徳的には一つのことです。その斧の頭はヨルダン川の底にあります。そして型として、死の状況が生じます。霊的に解釈すると――天然的な力で霊的な事をしようとしたせいです。

 この出来事から結論を引き出す以外に、それ以上何も述べる必要はありません。斧の頭は戻り、仕事は終わりました。ただし今や、復活の命によってです。エリシャが復活の力として、すでにヨルダン川を征服している者として、ヨルダン川によって示される死に打ち勝った者として、その場に居合わせていなければ、その人の仕事は中途で終わっていたでしょう。

 他の点もありますが、触れないことにします。私たちはただ、これらの出来事の核心と思われるものを取り上げているにすぎません。


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