エリシャの原点はヨルダンにある

 彼の原点はすべてここにありました。彼は言わば、カルバリに根ざして立ちます。これが彼の生涯と務めの主な意義です。エリヤの外套を受け取った時、彼は死に対するこの勝利の力を立証しました。彼がエリコの水を打って、「エリヤの神である主はどこにおられるのか?」と言うと、水がこちら側とあちら側に分かれたので、彼は渡りました。彼はエリコの水で復活した主の力を立証したのであり、この力によって前進したのです。彼の原点はヨルダンにありました。言い換えると、彼の人生の基盤はまさに十字架の力だったのです。

 パウロはとりわけ新約におけるこの実例です。そうである以上、パウロの原点が十字架にあったことも同じように明らかです。他の使徒たちに優って十字架の力について知っている使徒がいるとするなら、それはパウロです。彼はあらゆる領域で勝利するその普遍的な力強い勝利を見ていました。ですから、彼は特別な方法で復活の命の使徒なのです。

エリシャの力は復活にある

 特に、これが持つ一つの意義について指摘しましょう。復活にある彼の力は、この性質のものでした。復活の立場のゆえに、彼は対処すべき状況の外側に完全に立っただけでなく、その状況を超越しました。復活が常に意味するのは、われわれはこの世の外側にあるということです。復活後、主イエスは二度とこの世に御自身を現されませんでした。復活後、御自身をこの世に向かって個人的に現されませんでした。復活が意味するのは、彼はこのような意味でこの世から出て、それから離れて立たれたということです。この世に対する彼の力は、世から離れていることにありました。彼がこの状況を対処できるのは、彼がもはやその状況に巻き込まれることはないからです。復活が意味するのは、私たちは霊的にこの世の外側にあって、それを超越した立場にあるということです。

 ですから、エリシャは死の光景の中を、それによって打ち負かされることなく進むことができました。むしろ、その状況を常に超越して、絶対的権威をもって対処することができました。彼は決してその状況の一部ではなかったからです。彼の力はこれにありました。

 私たちはキリストの復活の力によって生きる術を学ばなければなりません。それは、私たちの周りにある死が私たちに影響を及ぼして、私たちを捉えることがないようになるためです。主イエスとの復活による合一が意味するのは、私たちは周囲にある死に巻き込まれることがないということです。死の光景の中を進んでも、死が私たちに触れることはありません。死のただ中で命の中にとどまること、これは学ぶべきとても重要な学課です。


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