3.ヨルダンから始める

 最後に、彼はすべてがヨルダンから始まる地点に達しなければなりませんでした。エリヤとのこの旅の最後の段階、そして御霊の下における彼の旅の最初の段階は、ヨルダンにおいてでした。彼はエリヤと共に死をくぐり抜けました。そして、復活の力の中でヨルダンから戻ってきました。預言者たちの息子たちである五十人は見つめていました。そして、彼がヨルダンを渡って戻って来るのを見た時、「エリヤの霊がエリシャの上にとどまっている」と言いました。彼の出発点――あるいは彼の原点と言ってもいいかもしれません――はヨルダンにありました。ご存じのように、私たちは主イエスの十字架に根ざす必要があり、キリストの死と復活からまさに始まる命を経験的に知る必要があります。そのような神の僕の命の中に、ある経験が訪れなければなりません。その経験により、一度限り永遠に、この命――その良い面も悪い面も、そのすべての力、たとえそれが神の働きのためだとしても――は終わらされなければなりません。その当事者に関する限りはそうです。キリスト教の活動、宗教的関心、奉仕のための情熱においてすら、この命は終わらされなければなりません。キリストの復活の力によらない限り、すべて不可能です。これを口で述べて教えとして保持することと、これを経験的に知って、主と連携して動こうとする度にこれを自分の存在中に銘記してもらうこととは、全くの別問題です。あなたの人生の一日一日が、主の権益に関する限り、すべてを主から引き出すものでなければなりません。すべてはキリストの復活の力によってでなければならず、それ以外のものがあってはなりません。これに決着をつけて、心に銘記し、一度限り永遠に確立するには、深いヨルダンの経験が必要です。これは深い死であり、ヨルダンの中に深く沈むことですが、これによりキリストの復活の命の素晴らしい証しが可能になります。これにより、キリストの復活の命を知る、巨大な絶えず増し加わる知識への扉が開かれます。

 カルバリは生まれながらの人に対して門を閉ざします。しかしカルバリは、すべては自分自身からではなく神からでなければならないと決意している人に対して門を開きます。エリシャはすべてがヨルダンから始まる地点に達しました。エリシャの将来はことごとくヨルダンから発しなければなりません。あなたも私もこの証しの器となることを学ばなければなりません。復活の命のキリストを知る人々でなければなりません。

 これが備えです。もし主の働きに出かけて行った人が皆、この基礎に基づいて出かけていれば、まったく別の物語が語られていたでしょう。そうしなかった人全員に対して責任を持つのは無理ですが、私たちに出来るのはこれが真理であることを悟ることです。そして自分たちに関する限り、「これを自分にも成就して下さい」と主に求めることです。これは深い死です!これは終わりですが、始まりでもあります。私たちの前にあるのは――第一に言葉による証しではなく――私たちの人となりによるキリストの復活の命に対する証しです。もしこれが私たちの前にあるものだとするなら、それが成立しうる唯一の基盤は、それ以外の知識や命のあらゆる領域で私たち自身が停止することです。そして、これがキリストの十字架によるキリストとの合一の意義です。これが準備です。これが備えです。これが主が御自分の豊かな証しのための器を整えるための出発点です。


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