完全な心を持つ経験をしても、誘惑から免れるようになるわけではない。誘惑と罪との間には違いがある。短気と短気を起こすよう誘惑されることとの間には違いがある。私が短気について述べたのは、あなたに訪れる多くの誘惑の一つの見本としてにすぎない。短気にとてもよく似た感覚でもない限り、短気を起こすよう誘惑されることはありえない。実は短気ではないのにとても短気であるかのように、時として悪魔は聖められた人々に感じさせる。彼らはただ悪魔に立ち向かって、「お前の物を持って去れ」と告げるべきである。「私はそのような種類の実を結ばないのだから、それは私の心に由来するのではない」と悪魔に告げよ。サタンは光の天使として聖められた人々のもとにやって来る。

 このように数日毎に落ち込む経験――勝利を得ても、その翌日には落ち込んでしまうのである――はどれも、新約聖書的な信仰経験ではないし、救いでもない。聖霊によるバプテスマは決定的御業である。人生でただ一度しか起きない。あなたが後退しない限り、決して繰り返されることはない。聖霊が来臨する時、それはとどまるためである。聖霊の臨在を感じなかったとしても、それはあなたの取り組むべき問題ではない。あなたが取り組むべきことは、聖霊があなたの中に来て、あなたを全く聖めて下さったこと、そして、あなたが光の中を歩いていることを知ることである。これを知るなら、聖霊になすべき事を指図したり、自分の感覚を整えてもらうよう指図すべき理由は何もなくなる。あなたが全く神に明け渡している限り、地にも地獄にもあなたを投げ倒す十分な力はない。できることならあなたを滅ぼしたいと思っている人々もいるが、不可能である。主が開くと誰も閉じることはできない。聖められた人々はお世辞や批判に対して全く死んでいるのである。

 私が誘惑について述べたことは、全般的にも言える。誘惑に似たものがない限り、どうして誘惑されるおそれがあるだろう?多くの時、人々はしばしば深刻な誘惑を受けて苦しむが、それはわれわれが主の苦難の交わりを知るためである。ゲッセマネの園でイエスは恐ろしい誘惑に遭われたのではなかったか?血の大きな汗を流されたのではなかったか?それでも、一瞬たりとも罪を犯さなかったのである。愛する人よ、言いようのない悲しみ、説明できない苦悩、拷問のように思われる誘惑があなたに襲いかかったとしても、聖霊がおられる限り、罪はないし、汚れもない。あなたが光の中を歩んで神に従っている間、悪しき者の力は麻痺する。悪しき者があなたの中に入る方法はたった一つしかない。すなわち、あなたの意志の同意である。


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