神は常に忠実に丁度よい時に来て下さるというこの学課の教訓に注目せよ。早すぎず遅すぎず――丁度よい時である。石はかなり前に転がされたわけではない。御使いがまだそこに座っていたからである。サタンは何と多くの時、「今、この問題がお前にのしかかっており、時は短い。それなのに、解放の兆しは見えない。主はお前の期待を裏切るだろう」と言うことか。悪魔は言う、「主が過去にお前の期待を裏切ったことがないのは分かっている。だが、これは別だ。これは緊急事態だ。今すぐ何かが起きなければならないのに、お前が見ているように、主はおられないのだ」。ああ、これは悪魔の囁きである。神は常に丁度よい時に来て下さる。多くの時、信仰は石に向かって歩み寄らなければならない。神は一時も時間を無駄にされない。丁度よい瞬間に来て、われわれを解放して下さる。丁度よい時に、素晴らしい御力と恵みを示して下さる。

 モーセは、まさに絶体絶命に思われる状況に民を導かなければならなかった。出口は無かった。山々が両脇にあり、押し迫る敵が背後にいた。そして、彼らの前には海が広がっていた。望みはないように見えたが、神は丁度よい時に来て下さったのである。

 ヨシュアの試練はさらに厳しかった。何も起きていないのに、祭司たちに命じて水の中に立たせなければならなかった。神は決してしくじることがない。信仰が試される時にあなたが忠実なら、勝利が必ず訪れる。

 石をどけるのに婦人たちは触れる必要がなかったことに注目せよ。努力や剣を抜くことは不要だった。諸君、神がわれわれに望んでおられないことがあるのをご存じだろうか?そうである以上、われわれは完全な沈黙の姿勢を取るとき最も強いのである。パウロは言う、「私は弱いときに強い」と。われわれが完全にじっとしていて、神がなさることを見ている時、最大の勝利が訪れる。「あなたたちはこの戦いを戦ってはならない」。これが意味するのは、あなたは雄羊の角や牧者の投石器を手にして進み出てはならない、ということではない。ただじっと立っていて聖なる歌を歌わなければならないこともある、ということである。成し得る最善のことは何もしないことであることもあるだろう。悪魔があなたをせかしてあなたに多くのこと、軽はずみで理不尽なことを行わせようとすることもあるだろう。しかし、神が事を明らかにして下さるまで、あなたはじっと立っていなければならない。


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