また、極めて暗く困った状況の下で神に対して信実だったイザヤがいる。イザヤは真理を告げてそれを支持したため、とうとう人々は彼を牛肉のようにノコギリで引き裂いた。彼は神からメッセージを受け、勇敢にそれを伝えたのである。

 エレミヤもいる。エルサレムが陥落して回復の望みがほとんどなかった時、彼は忠実に神のメッセージを告げて、あらゆる形の罪を非難した。そして、失われたもののために涙を流し、ついに「涙の預言者」と呼ばれるようになった。過去にこのような人々を神が持っておられたからには、きっと神は今日もこのような人々を必要としておられるにちがいない。パロの王座を打倒するために一人の聖なる人が必要だったからには、今日の多くの偽教師や偽説教者に異議を唱えるために用いられる人が数人大いに必要である。全き真理を告げることを恐れない聖なる男女を神は必要としておられる。

 サムエルについて、「主は彼と共におられ、その言葉は一言も地に落ちなかった」と述べられている。主があなたと共におられるなら、それで十分である。兄弟よ、主があなたと共にいてあなたと共に進んで下さるように行動できるなら、主は全く十分な御方である。主が行かれない所には行かないようにしようではないか。主が前線におられない所で戦いを仕掛けようとすることのないように、神がわれわれを助けて下さいますように。このようにかつては聖なる人々がいて、聖なる生活を送っていた。彼らは恐ろしい途方もないものに立ち向かった。預言者たちは王たちに立ち向かって彼らの腐敗を非難しなければならなかった。勇敢に王の顔を見据えて、「あなたは地獄への道を歩んでいる」と告げることのできる人は、今日何と少ないことか!預言者たち、神の聖なる人々はそうしたのである。クェーカー教会の創立者であるジョージ・フォックスはそうしたのである。彼らは王の宮殿、会議、教会会議、偽物の宗教の最大の中心地に立ち向かった。彼らが御霊に感じてこのように警告して非難したのだとすると、今日なぜ誰もこの奉仕に召されないのか不思議である。

 ある聖なる人がダマスコにやって来た時、ユダヤ人たちは彼を殺そうと待ち構えていた。彼がアンテオケにやって来た時、棺がそこで彼を待っていた。彼がルステラで奇跡を少しばかり行った時、人々は彼を礼拝せんばかりだった。人々は「この人は神である」と言ったが、彼が彼らに真理を告げると、人々は石を取り上げて彼を石打ちにした。彼がエルサレムを訪問すると、彼は打たれ、命からがら逃げのびた。そしてローマで首を刎ねられた。彼の最後の言葉は、「われわれに常に勝利を与えて下さる神に感謝します」であった。ああ、私はこのような節を読むのが好きである。他の人々も同じように行って勝利したからには、われわれも征服することができる。しかし、彼らは聖なる人々であった――聖なる心を持ち、聖なる生活を送っていたのである。聖なる人々が死ぬことは決してないことを、あなたはご存じだろうか?聖なる人は死んだ後も生き続ける。時として、生きている時よりも死んでいる時の方が良いこともあるほどである。

 この昔の預言者たちの一人は死後も大いなる力を持っていた。死んで何年もたっていて、肉はすべて骨から剥がれ落ちていたが、その墓場に死体が投げ込まれてその骨に触れた瞬間、死体は甦って両足で立ったのである。このように、エリシャの枯れた骨には今日のアメリカのプロテスタント以上の命があったことが分かる。

 もし主が遅れるなら、クナップ兄弟の名は徐々にこの運動から抜け落ちて行き、あと数年もすればその名はめったに言及されなくなるだろう。別の名前が人心を捕らえているだろう。しかし、彼が生きた聖なる生活には依然として力があるだろう。そして、数百の人々が徐々に彼のことを聖なる人と思うようになり、彼の神に対する忠誠を彼の在世時以上に評価するようになるだろう。「神の聖なる人々」――このような人々がいてくれて私は本当に嬉しい。彼らは苦しむ者を救い、堕落した者を引き上げ、祝福を受けるすべての人を祝福するために生きているのである。

 シカゴのカスタム・ハウス・プレイスやカナル・ストリートを歩いて通って、そこで見かける貧しい不幸な人々の苦しみを和らげたりその状況を改善するためにこれまでほとんど何もなされていないことを思う時、とても奇妙な気分になる。かつては立派だった人が飲み屋にもたれかかっているのを私は見かける。この人はまさに悪魔に何が出来るかの見本である。地獄の産物の展示品である。「こんな人々と永遠に付き合わなければならなかったとしたらどうだろう!」と私は言った。神が私を救って聖めて下さって以来、私はこんな社会に反発しているが、このような人々を助け引き上げて自分の足で立たせるという目的を抱いている。聖なる人々は堕落している人を助け、失われている人を回復することを常に喜ぶものである。これは今は困難な働きだが、勇気を出そうではないか。もはや断食しなくなる時、涙を流し、ひたすら祈って、魂を獲得して神に向かわせることがなくなる時が来ようとしている。平和と勝利が宇宙中を治めるようになるのである。


オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館へ

コメント
トラックバック
トラックバックURL
コメントフォーム
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
全記事表示リンク
検索フォーム
個人のブログに関するリンク集
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

電子書籍
Glorious Secret
ジェシー・ペン-ルイス
「栄光の奥義」


The Cross of Christ
アンドリュー・マーレー
「キリストの十字架」


ランキングサイト
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

人気ブログランキングへ ブログランキング

ブログのまどランキングへ ブログ王へ

ブログランキング【くつろぐ】

QRコード
QR
カウンター

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ