この午後、私が注目したいのは次のことである。預言者たちの経綸が終わった終末の時代は、今の時代の終末を著しく予表しているのである。アダムがエデンの園で失敗したように、ノアの洪水以前の時代が裁かれたように、族長の家族がエジプトの暗闇と束縛の中に落ち込んだように、カナン征服が長い捕囚に終わったように、旧経綸が恐るべき夜の四百年の漆黒と暗闇の中に陥ったように、確実にこの経綸時代も背教と恐るべき暗闇に終わるのである。人々はこれを見ていないらしいのを私は承知している。真に霊的な人以外、誰もこれを理解していないようである。平均的なクリスチャンは、われわれを取り巻いているこの恐るべき暗闇を少しも分かっていない。これは極めて痛ましいことである。真に聖められた人が道や野原を歩いていると、心が痛んで目から涙が流れ、「来て、この恐ろしい罪の支配を終わらせて下さい」と主に向かって叫ぶことがよくある。捕囚から回復された後、イスラエルは繁栄の時期を迎えたが長続きしなかった。今日、繁栄に耐えられる人はほとんどいない。繁栄している時よりも、極めて深い悲しみと厳しい試練の中にある時の方が、人々は霊的になる。この年老いた預言者は立ち上がって、人々の間に商売根性がはびこっていて、人々の自発的奉仕と自己否定はすっかり過去のものになってしまった事実に、人々の注意を向けさせる。彼は言う、「無給で宮の扉を閉ざす人は誰もいない。どうしてこんなことになってしまったのか。賃金なしで祭壇に火をともす人が一人も見つからない」と。われわれは今や霊的衰退の時を迎えた。人々が宗教的なのは金が目当てである。教会員でいるのは、そこから何かが得られるからである。多くの人々がわれわれのこの世的な人気のある諸教会の会員でいるのは、経済的利益のためである。商売人が教会を支援するのは、教会に支援してもらうためである。ブリキ職人、馬具屋、靴屋が、ある村に入ってそこに落ち着くと、一番人気のある教会を探して、そこの礼拝に出席するのは、教会員たちに支援してもらうためである。ああ、近頃は給料は高いのに、リバイバルが一つも起きない。オルガン奏者、聖歌隊員、歌手は給料をもらっているのに、回心者は一人もいない!今の時代はマラキの時代に似ていないだろうか?今は欲得ずくの時代である。主や教会のために何をするにしても、誰もが高給を欲しがるのである。この時代の終末の恐るべき背教がすでにわれわれの上に臨んでいる。どうか神がわれわれを助けて下さり、今は恐ろしい時代であること、われわれは恐るべきことに遭遇していること、立ち向かうには人の力以上のものを身に帯びなければならないことを見せて下さいますように。われわれを不動の者にしてくれるものを、われわれは得なければならない。どんな嵐があろうと、大波がどれほど荒れ狂おうと、穏やかに乗り切るためである。この年老いた預言者は、人々が汚れたパンを献げている背教の状態に注意を向けさせる。パンが古くて食べられない時、人々はそれを主に献げたのである。そのような事は想像もつかない。しかし、今日献げられているものは、多くの場合、いらないものだったり、なくても快適にやっていけるものである、と言えるのではないだろうか?彼は言う、「あなたたちは目の見えないものを献げ、足なえのものや病んでいるものを犠牲として献げている」と。当時、人々が主への献げ物として片目の動物や、三つ足になった動物や、病んでいたり足なえだったりする動物を選ぶようになった時、彼らは霊的衰退の状態に陥ったのである。これは馬鹿げたことに思われるが、まさに私自身が直面していることである。人々のいけにえや献げ物が、足なえで病んでいるのである。肥え太った献げ物ではなく、欠けたもののない献げ物でもない。自発的な献げ物であることは滅多にない。私は信じているが、聖められた金の一ドルの方が病んだ金の十ドルよりも有用である。祈りと聖なる生活に支えられた一ドルの自発的献げ物は、諸教会がバザーや祭や豆の夕食で募る十ドルよりも価値がある。片目の動物や足なえの動物を神に献げようとする者が、あなたたちの中に誰かいるだろうか?しかし、何であれ十分の一を差し控える者は足なえの動物を献げている、と言えるのではないだろうか?けちけちと控え目に与える者はみな、不完全なもの、足なえのもの、目の見えないものを献げている、と言えるのではないだろうか?われわれは最上のものや初穂を神に献げるべきである。そうする代わりに、いわゆる聖潔派の人々はドル札を取っておいてペニー硬貨を献げている。神はやもめの少額硬貨は受け取って下さるが、病んでいるもの、足なえのもの、傷のある献げ物を決して受け取ることはない。今日神が望んでおられるのは、自己を否定して自己を犠牲にする人々である。神が最上のものを求めるのは、必要としているからではなく、それを与えることによってわれわれは神に対する自分たちの愛や熱心さを示すことになるからである。神に感謝すべきことに、これは最上のもの、群れの初子、事実上すべての持ち物を献げて、それを御足下に置くようわれわれを促す経験なのである。


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