証人たちがわれわれのことを恥に思わないように進み通したいものである。今、彼らは天の回廊にいる。ヘブル書著者によると、彼らは証人である。この聖書学校で起きていることをクナップ兄弟が知っているかどうかはわからない。もしこの御言葉に何らかの意味があるとするなら、それが意味するのは、われわれに先だって行った者たちがわれわれの競争を見ているということである。ヘブル書十一章の内容は、「天の回廊は私がここで述べたような人々で一杯です。最善を尽くしなさい」ということである。これが私の訳である。われわれはこの競争を走って賞を勝ち取った人々に囲まれている。ああ、この事実を悟れさえすれば。数年前まで、彼らはわれわれが今走っているのとまさに同じ競争を走っていた。さらに数年たてば、われわれは彼らが今いる所にいるだろう。それはすぐである。競争は短い。われわれは成功しなければならない。「イエスを仰ぎ見つつ」。

 今は恐ろしい試みの日であることを、あなたたちは知っている。今は、聖霊によって歩んでいる人々が夢にも思わなかった試練を忍ばなければならない日である。だから、絶えず「イエスを仰ぎ見」なければならない。われわれは時としてあまりにも多くのことをしようとする。あまりにも懸命に働こうとする。一目見るだけで、われわれはこの祝福を得ることができ、一目見るだけで、この祝福を保てるのである。イエスを思いみよ。自分自身、自分の試み、自分の境遇を思いみてはならない。イエスを思いみよ。そうするなら、この天の競争であなたは速度を上げるだろう。

 今朝、私はあなたたちのためのメッセージを負っている。あなたたちのためだけでなく、あなたたちが宣べ伝える人々のためでもある。人々に告げてほしい、「これはあなたたちが走るべき競争である」と。この若者はイエスのもとに行った時、自分の衣を投げ捨てた。群衆を掻き分けて進む邪魔になりかねないと感じたからである。われわれも同じようにしなければならない。

 結論として私は証ししたい。私は神に、私が進むのを遅らせるものをすべて私から除いて下さるよう求めている。全き聖めを受けるのは瞬時だが、捨て去るべきことがたくさんあり、学ぶべきことは膨大である。聖められた後も、大いに成長しなければならない。この意味で、聖めは漸進的な働きである。もし神がわれわれに対して御自分の道を行けるようになるなら、神はたくましさを伸ばし、われわれを強い男女にして、良い競争を走れるようにして下さる。


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