困難の効用は何か?試練や誘惑の益は何か?たいていの人はこれらのものを恐れる。人々は厳しい誘惑や試練を災難と見なしている。これらのものがわれわれに臨む目的は何か?第一に言いたいのは、それらのものによってわれわれの真価が試されるということである。神は決して無価値な魂を試みたり試したりしない。だから、厳しい試練を受けているとき、それはわれわれがそれに値するからなのである。悪魔はすでに自分のものである人を決して誘惑しない。だから、悪魔が人々を厳しく誘惑するとき、それは彼らが悪魔の爪から救われていて、悪魔が取り戻したがっているからなのである。毒草は穀粒や小麦のように篩いにかけられない、とイザヤは言う。なぜか?篩いに値しないからである。穀粒や小麦は篩いにかけられる価値があるが、毒草にはない。あなたや私に篩いにかけられた経験が一度でもあるなら、それはわれわれはそれに値すると神が考えておられるからである。神は小麦から籾殻を取り除きたいのである。他の人々は比較的安楽な境遇にあるのに、あなた自身は厳しい時を過ごしているのを見いだすとき、ただこう考えよ。おそらく、彼らには試練を受ける価値はないのだが、神はあなたの中にその類の試練によって引き出し得るものを御覧になっているのである。それは発達・成形可能なものである。成形・切削・研磨によってのみ美しくなるダイヤモンドのようである。

 悪魔がわれわれを狙うとき、それは悪魔がわれわれを得ていないからである。だから、悪魔の足や角の音を聞く時、下を見てゴミを拾う代わりに、悪魔がわれわれを得ていないことを神に感謝すべきである。悪魔は獲得済みの人々を狙ったりしない。肉的安全の揺りかごの中に寝かせておく。悪魔はアヘンを投与して彼らを眠らせ、その良心を麻痺させる。だから、彼らは奮い立って回心しないのである。悪魔が自分の使いの全団と共に狙う人々は、その爪から救われて解放された人々である。だから、悪魔は彼らをもう一度捕獲したいのである。

 だから、試練はわれわれの価値を証明する――われわれが何者なのかを示す――試み、反対、厳しい試練の時の行動の仕方から、われわれが何に耐えられるのかが分かるからである。高い圧力の下でも大丈夫なら、順調な時も大丈夫である。しかし、諸君、順調な時は大丈夫でも、強い北風の中では大丈夫ではないかもしれない。神はわれわれの鋼索の強さをわれわれに知らしめるために、時として強い強風を送られる。神はシオンの昔ながらの船が航行に適していることをわれわれに見させるために、時としてわれわれを嵐に翻弄させる。神は時として、われわれを狙う敵をその全軍勢と共に遣わされる。それは、その上に足を下ろして安全に感じられるものをわれわれが持っていることを、われわれが理解して知ることができるようになるためである。これによりわれわれは勇気、強い確信、霊の大胆さと勇気を得る。そのおかげで、極めて恐ろしい姿をした死をものともせずに、神のために戦場を突き進めるのである。


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