エレアザルの探求の結果は、極めて著しい決定的なものであった。この僕の言葉は彼女の心をイサクに勝ち取った。彼女は僕の話にあったイサクと会うために、親族や故郷を離れて異郷の地へ行く用意を整えた。

 銀や金の宝石それに衣服は、レベカにとって近づきつつある財宝の保証だった。昔の習慣はもはや許されない。花婿に会うために、高貴さという紫の衣裳を身に着けなければならない。明け渡した罪人はボロ衣を脱がされて新しい衣を着、正気になって、天の富の見本を得る。レベカは今や真にイサクの許嫁である。その栄誉にふさわしい衣服を着なければならない。イサクの花嫁になることに同意するだけでなく、実際本当に自分自身と自分のすべての持ち物をその目的のために献げなければならない。

 「そこでエレアザルは、『私を主人のもとに帰らせて下さい』と言った」。しかし、「老人」の父親や、レベカと地的な絆で結ばれている人々は反対した。「少なくとも数日は、彼女を私たちのもとにとどまらせて下さい」。これは決定的瞬間である。テストがなされなければならない。レベカはどうするのか?イサクに対する彼女の愛はとても強くて、自分を取り巻くものから愛慕の情を全く断ち切るほどのものなのか?自分の家に背を向け、父母、兄弟姉妹、家や土地を捨てて、イサクに向かって進むのだろうか?彼女の聞いた話が本当なら、これらのものに執着することは、愚行にも劣る行いである。イサクの生涯と財産に共にあずかる者に本当になれるなら、なおもラバンの羊の世話をするのは何と愚かなことか。そんなことをすれば、彼女の前に示されたものをことごとく蔑むことになるだろう。軽々と諦めてしまうには、この将来の見通しはあまりにも輝きに満ちている。そこでレベカはためらわずに立ち上がり、単純ではあるが素晴らしい「私は行きます」という言葉で旅立つ決意を述べた。「後にあるものを忘れて、前にあるものに向かって身を伸ばしつつ、彼女は上に召す賞に向かって前進した」のである。

 真に回心した者はみな、実際的な献身と真の聖潔の問題に速やかに直面するようになる。ここで、生まれながらの人や地的絆は抗議して、この分離をしばしのあいだ遅らせるよう固執する。数週間、数ヶ月、義認の光の中を歩んでいる人で、聖潔の問題、「生まれながらの人」、「肉的な思い」、世的なあらゆる係累からの十分で完全な分離という問題に直面するようにならない人はほとんどいない。「私は行きます」という人々と共に、聖霊は道中ずっと一緒に旅をしてくれる。そして、「この時代」の「夕暮れ」に、おそらく今世紀の夕暮れに(そうでないと誰が言えるだろう?)、おそらく今晩、慰め主がわれわれに大いに語り聞かせてくれたキリストがイサクのように外に歩み出て、その目を上げて、その妻が天の雲に包まれてご自分に会いにやって来るのを御覧になるであろう。キリストは彼女を力強い御腕で引いて祝宴の間に導き、王の食卓に座らせられるであろう。「こうしてわれわれは永遠に主と共にいるようになるのである」。ハレルヤ!


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