「しかし、これは預言者ヨエルが語ったことである。すなわち、『神は仰せられる。終わりの時には、私の霊をすべての人の上に注ごう。そして、あなたたちの息子たちや娘たちは預言をし、あなたたちの若者たちは幻を見、あなたたちの老人たちは夢を見る。また、その時には、私の男女の僕たちの上にも私の霊を注ごう。そして、彼らも預言するであろう」(使徒二・十六~十八)。


 これはペンテコステの使徒の言葉である。ペンテコステの素晴らしい出来事を予め告げたヨエルの預言を繰り返している。特に、この午後、次の事実に注意することにしよう。聖霊の降臨、三位一体の第三各位のこの世への来臨は、ただちに神の御子の福音の宣べ伝えという結果になった。御霊の傾注の結果、息子たち、娘たち、男女の奴隷たちは預言した。「預言」という言葉は、よく誤解される。原語の意味は「泡立つこと」、「叫ぶこと」、「掘り抜きの井戸のように溢れ流れること」である。いま読んだ御言葉では、預言は神のすべての民がそれに召されているものである。なぜなら、神の御言葉を注意深く学ぶなら、預言は福音の実際的宣べ伝えのすべての局面を網羅する事実がわかるからである。「泡立」たない宣べ伝え、「溢れ出」ない宣べ伝えは、宣べ伝えではない。強くなって行かない宣べ伝えは、宣べ伝えではない。新約聖書の水準を満たすには、宣べ伝えは掘り抜き井戸のように泡立ち、溢れ出るものでなければならない。

 現代説教として知られているものの形跡を求めて、われわれは神の御言葉を探したが、一つも見つからなかった。男たち、女たち、息子たち、娘たちが宣べ伝えたという箇所は見つかるが、いわゆる「真理」を説教化して体系的に示そうとする試みの形跡は見あたらない。使徒たちがかつて宣べ伝えた最大の説教は、ほとんどが彼ら自身の経験に由来するものであった。ペンテコステの日から今に至るまで、「天から遣わされた聖霊と共」になされた宣べ伝えは、聖なる無謀さによってなされたのである。また、人を束縛する人造の組織や人間的組織からの全き自由をもってなされたのである。

 事実、神は今日、ご自分のすべての子供たちが何らかの仕方で預言するよう召しておられる。ペンテコステの宣べ伝えは、神が心の中に行って下さったことを、奔放かつ自由に表明することである。それを束縛することはできない。また、それは束縛下では機能しない。百二十人の男女がいたが、彼らは一斉に語り始めた。一斉に預言し始めたのである。息子たち、娘たち、男女の奴隷たちが預言し始めた。神が授けて下さったことを彼らは語り、表明した。議会の前に召し出された時、パウロがしたのはまさにこれであった。ただ蛇口をひねって、流し出したのである。多くの人々は座席に座り、「自分は宣べ伝えるよう召されていません」「自分は話すよう召されていません」と言って弁解している。しかし、彼らは立ち上がって宣べ伝えに取り組むべきである。

 私は教会の姉妹たちのために心配している。多くの人は人から認められるのを待っているが、これは極めて嘆かわしい誤りである。愛する人よ、ペンテコステに立ち返るなら、人からの任命を待ってなどいられなくなる。人から認知されるのを待ってなどいられなくなる。後退した教会が任命の用意を整えるのを待ってなどいられなくなる。われわれは宣べ伝えなければならない。なぜなら、神がそれをわれわれの内に授けて下さったからであり、われわれはそれを表明しなければならないからである。


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