ダビデは五つの丸石で巨人に立ち向かったが、一つの丸石で巨人を倒し、四つの丸石を残して戻って来た。さらに四人の巨人を倒す用意ができていたのである。ダビデは圧倒的な勝利者だった。あなたならおそらく、自分が持っている丸石を全部投げて、最後の一撃で巨人を倒せれば上機嫌になるかもしれない、しかし、ダビデは最初の一撃で巨人を倒した。まさに「圧倒的な勝利者」だったのである。これが余力を残して勝利することである。しかし大抵の人は、勝利したとき何も残っていない。勝ったとしてもとても弱っているせいで、すぐに別の戦いに参入する気にならない。神の御旨は、われわれがすぐに別の戦いを始めるのに十分な余力を残して勝利することである。

 パウロとシラスが牢獄にいた時、彼ら自身が外に出ただけでなく、他の人々をも連れ出したことを私は思い出す。彼らは「圧倒的な勝利者」だった。ほとんどの人は牢獄に入れられると、自分が外に出られさえすれば喜んで、他の人々のことは顧みない。しかし、パウロとシラスは歌を歌い、祈った。そして遂に、古い牢獄は揺れ動き、扉は開き、囚人たちは外に出たのである。

 今晩私が話している祝福をあなたや私が得る時、われわれは牢獄に行って、いくばくかの人を連れ出せるようになる。神は時としてとても窮屈な場所に私を入れるが、私を連れ出す時、私と共に誰かを連れ出される。その時こそ、真夜中に牢獄の中でわれわれを歌わせる救いをわれわれが得た時である。牢獄の中にいるから歌うというよりは、むしろ他の人々が外に出て行くから歌うのである。神は看守になる特権を授けてわれわれに栄誉を与えて下さる。それは、われわれが囚人たちを解放できるようになるためである。これが圧倒的勝利者である。

 ダニエルが獅子と一緒に眠った時、彼は勝利者だった。獅子と一緒に眠るには、霊の偉大な勝利が必要である。大抵のクリスチャンなら、起きて獅子を見張っていただろう。「見張る」よう教わっている、と言っただろう。ダニエルは出て来た時、ずば抜けて「圧倒的な勝利者」だった。ヘブル人の子供たちは、火の中を歩いても焼かれなかった時、勝利者だった。しかし、神の御子が炎の中を彼らと共に歩まれ、彼らが出て来て不信仰を征服し、悪魔どもに無力な怒りの歯ぎしりをさせて元いた地獄に追い返した時、彼らはずば抜けて「圧倒的な勝利者」だったのである。

 天の神よ、われわれのこのちっぽけな取るに足りない宗教から、われわれを救いたまえ。衝撃力があるもの、他の人々を揺り動かすものを与えたまえ。命を宿しているもの、他の人々に命を与えるものを与えたまえ。それは来たりつつある。神はわれわれの目を開いて、われわれがあまり見ておらず、あまり知らないものを見せて下さる。われわれが完全に聖められる時、われわれはその豊かな貯えの封を切っただけで、使い尽くしたわけではない。悪魔どもの連隊の前をあえて進む人々の群れを起こすことを、神は願っておられる。


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