この御言葉で述べられている拡大の他のいくつかの特徴にも注目することにしよう。われわれは「惜しんではならない」と命じられている。あるいは、もっと正確には、「出し惜しみしてはならない」である。これは人の自己中心性に致命的一撃を与える。神の御旨は、利己的な魂を自分を犠牲にして自分を忘れる者に造り変えることである。「出し惜しみしない」ことは、自分の持ち物を全部気前よく与えることである。けちな魂が広くされることは決してなく、日に日に小さくなる。狭量で卑しい魂は、家庭でも教会でも、癪に障る厄介者である。寛大な魂は常にわれわれを祝福して助けてくれる。「施し散らして裕福になる者があり、必要なものを惜しんで貧しくなる者もある」。「神は喜んで与える者を愛される」。ゴルドン博士が言うには、「喜んで」というこの言葉は「楽しく」を意味するそうである。

 ほとんどの人は、献金を取られる時、深刻な表情を見せる。しかし神の御旨は、人がふんだんに与えて、それからそれについて叫ぶことである。一人の人がいつもの一セント硬貨ではなく一ドル札を籠の中に入れて、それから、その特権についてくすくす笑い出したと考えてみよ。経験上、献金のゆえに普通の会衆が叫ぶようになるだろう。人々が栄光と神に満ちるようになって、集金人が通路を下ってくるのを見ると、頭をのけぞらせて笑うようになる日が来ると想像してみよ。

 問題は、われわれがあまりにも考えすぎること、あまりにも計算高いことである。献金の訴えがなされる時、最初は一ドル与えようと思うのだが、計算を始めてしまって、財布を開く前に五十セント、献金籠が来る前に二十五セントになり、その集会の残りの時間、それを悲しく思うのである。

 われわれはみな、ある教会で雲行きが怪しくなるのを見てきた。空は晴れ渡り、会衆は元気一杯に歌うのだが、牧師が「さあ、献金を集めますよ」と言うと、たちまち黒雲が、ニューファンドランドの霧のように、会衆全員を覆ってしまうのである。

 献金が献げられる様子は、ある葬式のことを思い起こさせる。六人のたくましい若者が通路を行進して講壇の前に立ち、牧師から献金皿を受け取る。まるで司教から命令を受けるかのような深い責任感と厳粛さをたたえている。銅貨を集め終わると、前述の若者たちは後の扉の近くで隊列を組み、ゆっくりと、悠然と、堂々と、中央通路を闊歩する。死体を扱う丁重さで黄色い硬貨を運んで行くのである。

 「惜しまない」こと、「出し惜しみしない」ことは、証しと、説教と、涙と、祈りをふんだんに与えることである。われわれが与えるものはみな、良い投資であって、複利付きで戻って来る。われわれが貯えて保存するものはみな、永遠に滅びる。日曜日に雨が降ったため、聴衆が多くなるもっと好都合な時まで説教を差し控えるなら、その間に説教は駄目になってしまい、日が出て人々が来る頃には無価値なものになってしまう。


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