われわれは、試練や戦いや命の危険の中にあっても、絶対的に神に信頼することにより、「強くなって、偉業を成す」ことができる。神はわれわれの目を開いて、火の戦車や騎手で一杯の山々を見せて下さる。そのおかげで、われわれは敵を見て、「われわれの味方はわれわれの敵よりも多い」と言えるのである。

 使徒行伝十二章は、「ペテロは牢獄に捕らわれていた。しかし、教会は彼のために絶え間なく神に祈った」と述べている。この「しかし」という言葉の背後には、ヘロデの全軍勢や牢獄の柵よりも強い何かがあった。少しして、ペテロは自由になっただけでなく、ヘロデは腐乱死体になったのである。神が私の人生やあなたの人生に諸々の困難を送られるのは、それらを取り除いて御力を示すためなのである。

 問題があなたの人生に訪れる時、神は「隠れてご自分の者を見ておられる。それは、あなたが神に信頼するのか、それとも、無様に絶望の中に沈むのかを見るためである」ことを思い出せ。困難を見る二つの方法がある。困難は前進を妨げる障害か、あなたを天に上げる梯子のいずれかである。神はヨシュアの進路にエリコを置かれた。それは、ヨシュアが石の城壁を雄羊の角笛で打ち崩して、幾世紀にもわたって輝き渡る勝利を得るためであった。神はダニエルが獅子の巣穴に入ることを許された。それは、ダニエルが御使いたちを驚かせ、悪魔を困惑させ、深い確信により異教の王とその部下全員に感銘を与えるためであった。神は前進するイスラエルの道に紅海を置かれた。それは、紅海を分けて、その選びの民を導いて乾いた地を渡らせる機会を神が得るためであった。パウロはピリピで獄に下ることを許された。それは、パウロが古びた獄屋の壁を揺り動かして粉々にし、看守とその家族を救い、その家に教会を設けて、他の囚人を全員解放するためであった。今日、神がご自分の聖徒たちを牢獄に行かせる時、それは、彼らが神に対して忠実であり続けて、他の誰かを彼らと共に連れ出すためなのである。牢獄に行くようなことがあるとき、必ず他の誰かを一緒に連れ出すようでなければならない。他の人々を解放する機会を得るためなら、われわれは捕縛されても構わない。

 神はパウロを、両足に鉄枷を付けてローマに遣わされた。それは、パウロが皇帝の家族の中に教会を植えるためであった。今日、神の愛する民の多くが、人から卑しく劣った者に見られることに素直に従うなら、彼らは素晴らしく用いられて、神の働きで高い評価を受けるだろう。

 自分自身の計画や自分自身の力を手放そうではないか。神を引き寄せて自分の傍にいてもらおうとするのではなく、われわれが神の傍に行こうではないか。ヨシュアが「エリコに立ち向かう」主の軍勢の将に会い、平伏して自分の指揮権を明け渡し、神の御子に指揮を任せたのは、幸いな出来事であった。

 さらに偉大なことを求めて神を信じようではないか。西部で牧畜者が用いているある仕掛けがある。その仕掛けは飼い葉桶に自動で水を満たすものである。飼い葉桶の水を求めて動物がやって来ると、その重みで自動バネが押され、水が出る。そして、飼い葉桶には新鮮で冷たい水がなみなみと注がれるのである。しかし、動物が完全にその台の上に乗らないと、その機械は作動しない。完全に乗らなければならない。前足二本だけを台に乗せて自分の道を確かめる控えめな老牛は、決して水を得ない。完全な無条件の全き献身により、全き救いと、神を知る知識と、豊かな力が与えられて、われわれは偉業を成せるようになるのである。


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