また、この人は「耳をふさいで血なまぐさいことを聞かない者」であることがわかる。この人は殺人小説を読まなかった。御言葉がそう述べており、私は御言葉から説教している。私が聖書を書いたわけではないし、その責任が私にあるわけでもない。しかし神が、「耳をふさいで血なまぐさいことを聞かない」人の肖像を私に与えて下さったのである。この人は明らかに、戦争の話や、殺人裁判や、姦淫事件に対する嗜好を失っていた。この人は耳をふさいで、そのような話を聞こうとしなかったのである。

 あなたはわかっておられるだろうか?この国の新聞が、あなたの客間の応接机を下水槽に変えるようなことがあってはならないし、今のように地獄からの嘔吐物を吐き出すようなことがあってはならないのである。あなたは自分の娘たちや家族を清く保たなければならない。あなたがこれに噛みついても噛みつかなくても、私は気にしない。実のところ、われわれは新聞の形で人々を家族の中に迎え入れて、応接机に座らせているのである。その人々は、われわれの清らかな娘たちと他のいかなる方法でも関わらせたくないような連中なのにである。われわれのみだらな都市の通りを歩いている極悪人が、われわれの家の中に入って来て、家族に嘲りの言葉を浴びせている。あなたがそのようなものに耽った結果、あなたの息子たちや娘たちはあなたの指から滑り落ちて、不法の下水槽に陥ってしまう。その時になって、あなたは伝道者である私のところにやって来て、「子供たちが救い出されるよう祈って下さい」などと言うのである!

 ここに、耳をふさいで血なまぐさいことを聞かない者がいた。この人はそのような類のことに耽らなかった。私が話し終える前に、この人は自分の耳を他のことに用いたのであり、他のことを大事にしていたことがわかるであろう。神の御声を聞きたいなら、この世のありとあらゆる声で自分の耳を汚すことはできない。

 膨大な語り声で満ちている時代にわれわれは生きている。快楽の声が私の耳を満たすことを欲している。金銭の声がやって来るし、地位の声が聞いて欲しがっている。この世の声が要求を突き付ける。教会主義の声が私を呼んでいる。カトリック教やそのような類のあらゆるものが、耳を傾けるよう私に求めている。聞くおそれのある声がたくさんある。しかし、神の御声を聞くには、私は耳をふさがなければならない。この人はそうしたのである。


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