聖霊は神聖な命の与え主である。聖霊は説教者たちの説教に命とエネルギーを注入して下さる。そして遂には、それらの説教は輝かしい火と力のメッセージになる。聖霊は教会のまなこに新たな光を、教会の頬に新たな溌剌さを、教会の組織に新鮮な力を与えて下さるので、教会は神の使命の道を勢いよく走るようになる。

 火は強力な活気づける力である。神は自然界の途方もない諸々の力を創造された。神は稲妻、炭鉱、空気の潮流の中に、世界中の産業を営むのに十分な力を蓄えて下さった。この同じ神が、御霊のバプテスマの中に、無限の力とエネルギーを備えて下さっている。ここにこそ、神のすべての御業を完全に申し分なく成就するのに十分な備えがある。人の力で神聖な働きに取りかかることは何と愚かなことか!踏み車で自分の工場を営もうとする製造業者がいるだろうか?しかし、それにもかかわらず、数千のクリスチャンが、自分自身の非力な手で主の働きをしようとしているのである。科学は、ボタンを一押しするだけで、自然の力を起動させる。神の子供たちは、天空の稲妻を活用して、この世界における主の御旨を完全に成就する方法を、学ぶべきではないのか?

 アルキメデスは、シラクサ湾の船を焼いて、敵を打ち負かした。物語はこう続く。彼は、燃焼させるレンズを用いて、太陽光を集光して船に照射した。すると、船は炎に包まれたのである。われわれに必要なのは、神の力に人の必要を担ってもらうことだけである。そうするなら、敵の艦隊が灰燼に帰し、われわれの敵対者の諸々の計画が完全に無に帰すのを、われわれは見るであろう。

 神の助けがあるなら、どうして人に頼る必要があろう?神がわれわれの戦いを戦って下さるのだから、どうして自分自身で戦う必要があろう?真の働き、何らかの価値がある働きは、神の力の働きがなくなると、やんでしまう。これは事実である。人の活動や人の努力は無価値である。神が退いてしまうなら、大義は失われる。われわれが前進する必要はないし、ましてや、音量や情熱を増す必要もない――そうしたことはどれも、何の意味もない。


オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館へ

コメント
トラックバック
トラックバックURL
コメントフォーム
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
全記事表示リンク
検索フォーム
個人のブログに関するリンク集
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

電子書籍
Glorious Secret
ジェシー・ペン-ルイス
「栄光の奥義」


The Cross of Christ
アンドリュー・マーレー
「キリストの十字架」


ランキングサイト
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

人気ブログランキングへ ブログランキング

ブログのまどランキングへ ブログ王へ

ブログランキング【くつろぐ】

QRコード
QR
カウンター

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ