その飲み物を受けた時、イエスは「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて、ご自分の霊を渡された。(ヨハネ一九・三〇)


 聖書では、死は単に死後の世界に移るだけの問題ではない。それだけでなく、死は一つの霊であって、どこで転身すればいいのか分からない時、絶望して意気消沈する時、内に入り込む。私たちが時の流れの中に、この世の物事の中に捕らわれる時、過去しか見えず、金、家、土地に優るものが見えない時、死は私たちに訪れる。これが死である。

 こういうわけで、人生最大の問題は、「自分は地上で自分の使命を完了したか?」ということである。もし完了したなら、喜んで死ぬことができる。これがイエスが「完了した」と言われた理由である。完了していないこと、これが死である!

 イエスはこうも言われた、「私を信じる者は誰でも、たとえ死んでも生きます。私はその人を全き者とします。私はその人の欠点を消し去ることができます。私は復活であり、命です。私が地上で開始したことは、不具者、足なえ、盲人、聴障者のために完成させます。なぜなら、私を信じて私にあって生きる者はみな、命を持つからです――永遠に成長するのです。あなたの時が来ていますが、死はもはやありません!」。

 悲しみの理由は、全き者になり損なったことである。私たちが泣くのは、完了していないものをあまりにもたくさん引きずっているからである。しかし、神はこの涙を私たちの目から拭い去って下さる。神は私たちの失敗を赦し、壊れたものをすべて元通りにし、私たちを新たな立場の上に置いて下さる。私たちには完了できなかったことでも、もし私たちが本当に望むなら、神は私たちのために完成して下さる。これは復活の約束である。アダムとエバがパラダイスで成就できなかったことも完了し、私たちがやり損なったことも完了する。常に希望があるのである。

クリストフ・フリードリヒ・ブルームハルト


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