それゆえ、私たちは常に確信しています。そして、体にある限り、主から離れていることを、承知しています。なぜなら、私たちは見えるものによってではなく、信仰によって生きているからです。私たちは確信しています。言わば、体を離れて主と共に家にいることの方が望ましいのです。ですから、体にあっても、体から離れていても、主を喜ばせることを、私たちは目標にしています。(二コリント五・六~九)


 誰もが達するべき地点がある。その地点とは、救い主のもとに平穏さと静けさの中で一人で来る地点である。また、ますます信頼して救い主に目を向けることができる地点である。それは、別れの時が間近に迫っても、彼との合一に曇りが生じたり、乱されることがないためである。世のものをますます手放せるようになるにつれて、すべてを静かに受け入れることを学ぶ時、イエスはますます近づいて下さる。

 体にある限り、私たちの関心事は、救い主が間もなく全人類の苦難を憐れんで下さることでなければならない。生きてそれを見ることができるかどうかにはかかわらず――たとえそれが自分にとってより多くの働きを意味したとしても――これが私たちの関心事でなければならない。それゆえ、貧しい者となるようにせよ。主の来臨に焦点を置き、思いやりをもって待ち望み、救い主が間もなくすべてを変えて下さることを切望せよ。これに身をささげることができるなら、あなたは素晴らしい任務を得る。あなたの溜め息は空しくない。これはまた、あなたのために天に場所を備える。天でのあなたの任務が何であれ、これによりあなたは役に立つ者となる。救い主になおもなすべき御業がある限り、あなたには必ず任務がある。

 衰弱しつつあったとしても、自分が救い主のものであることを確信せよ。これにより、あなたは慰めを受けるであろう。そして、耐え忍ばなければならない困難が依然としてたくさんあるにもかかわらず、救い主はあなたに聖なる喜びを与えて下さるであろう。自分の救い主を切望して、「この苦難を短くして下さい」と求めること、あるいはむしろ、「私をすぐに整えて、何ものも凱旋帰還を邪魔できないようにして下さい」と求めることは、まったく結構なことである。これが、あなたのために祈る私の祈りの目的である。これほど多くのものをあなたに与えて下さった愛する救い主は、自分の分を果たして、憐れみをもってあなたに会って下さる。「神を愛する者たちの益のために、万事は共に働きます」(ローマ八・二八)。あなたが天に着く時、主の諸々の道の素晴らしさにあなたは驚くであろう。

 「自分には救い主に仕える機会がほとんどなかった」と思うなら、思い出せ。キリストご自身、私たちのための弁護者であり続けておられるように(一ヨハネ二・一)、永遠においても戦士たちが必要なのである。あなたは自分の任務を得て、その任務の中で喜ぶであろう。ただ堅く立って、自分を引き止めるおそれのあるものをすべて取り除いてもらえ。もしあなたが御旨に喜んで服するなら、神の霊はあなたの内に働き続けて下さるであろう。神の慰めは、まさに父たる御手の中にある。あなたが最後の息を引き取るまで、どうかキリスト・イエスにある神の恵みがあなたと共にありますように。

ヨハン・クリストフ・ブルームハルト


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