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務めに関する誤った考え

 次に、この軍隊の中で機能する問題、あるいは霊的言葉で話すと、務め、機能に移ることにします。ここでもまた誤った、不完全な、間違った見解や考えをいだくおそれがあります。もしかすると、この問題に関して私たちには少し調整が必要かもしれません。務めの真の意味・意義は何でしょう?務めはたんに知識や情報を与える問題でしょうか?務めの中で、また務めによって、もちろん、これが大いになされます。しかし、これがその目的でしょうか――ただ教えるだけでしょうか?いいえ、この務めの機能は知識や情報の分与を超えたものです。私たちは戦場にある軍隊であり、戦時に必要なのは講義ではありません――私たちの実際の必要に対する備えです。必要を意識して備えられた務めに参加するとき、私たちは真に価値あるものを得る途上にあります。しかし、集会に出席してメッセージを聞き、さらに多くの知識や情報を得るだけのために参加するとき、私たちは決してそれによってこの戦いのために資格付けられることはないでしょう。

 要点を理解されたでしょうか?これがこの戦いの背景です。時々、最高司令官は様々な場所を訪問し、参謀を共に集め、状況を総括します。彼は部下全員を集めて、彼らに話します。しかし、その場は戦いの場です。平和の時ではなく戦いの時です。支配的状況は戦いの状況です。その光景と環境は実際の戦いのそれです。なぜ彼は人々を周囲に集めるのでしょう?軍隊生活の理論に関する講義を彼らにするためでしょうか?とんでもありません!彼が人々を招集するのは、直近の現状に対処する方法に関する助けと指示を与えるためです。彼らと対峙しているもの、まさに今ここで彼らが直面しているものを対処する方法に関して指揮するためです。

 そして、これが私たちの集会、私たちの務めすべての性質でなければなりません。私たちは常に臨戦態勢にある人々でなければなりません。緊急事態、脅威、危険、危機に立ち向かわなければなりません。私たちがこのような精神を持つとき、真にそのように戦うとき、非常に執拗で狡猾な敵に立ち向かうとき、実際に激しい戦いの中にあるとき――私たちの集会はずっと偉大な目的の役に立つようになり、私たちの務めは遥かに大きな価値を持つようになるでしょう。私がこれを力説・強調するのを我慢して下さい。私たちの集会は、いかなる代価を払っても、単なる理論の授業であることから解放されなければなりません。このような道ではいつか飽和点に達して、それ以上何も得られなくなるおそれがあります。しかし、もし私たちがまさにこの戦いの中にあって、真に本気なら、もし状況に立ち向かっていて助けを欲しているなら、私たちは助けが得られるところに行くでしょう。私たちは自分たちの集会に出席するとき、「私にはそれが必要です、それなしではやっていけません、私の状況がそれを要求しています」というこの立場に立たなければなりません。しかし要求が何もなければ、供給はいかに無意味でしょう!私たちの精神をこれにならす必要があります。私たちの集会と務めは、差し迫った実際の必要のための備えでなければなりません。


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