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(b)「信仰の一」

 第二区分の四・四~六に向かうことにします。ここで、とても短く、問題とされているのは、キリスト以外の何かを一の基礎とする危険性です。「一つ主、一つ信仰、一つバプテスマ、すべてのものの神また父は一つ」。これが一の基礎です。しかし、あなたがその気なら、これによって分裂を生じさせることも可能です。人々が「『一つバプテスマ』の意味は何でしょう?」と尋ねるのを私は耳にしてきました。ある人々は、「もちろん、それは聖霊のバプテスマのことです」と言います。他の人々は、「もちろん、それは水のバプテスマのことです」と言います――するとただちに、このまさに一の基礎に関して分裂が生じます!このどちらの解釈も必ずしもここにはあてはまらない、と私は思います。その意味は次のようなものだと私は信じています。すなわち、「私たちはみな一つ御霊の中で一つからだの中へとバプテスマされました」(一コリ一二・一三)という意味です。そして、この「一つバプテスマ」はキリストの中へのバプテスマです。何なら、これは聖霊によると言うこともできます。それは水によるとあなたは言えるでしょうか。水によってキリストの中へとバプテスマされる人は誰もいません。水によるキリストの中へのバプテスマを彼らは証しするかもしれませんが、それは別問題です。一つバプテスマは、私たちが信じた時のものであり、私たちはみな一つ御霊の中で一つからだの中へとバプテスマされたのです。

 ですから、問題は「あなたはキリストの中にあるでしょうか?キリストの中へとバプテスマされているでしょうか?」ということです。これが一の基礎です。もしさらに何かを一の基礎とするなら、私たちは一を分割し、破壊し、一つの真理を否定してしまいます。この基礎で十分です。この「一つ主、一つ信仰、一つバプテスマ、神また父は一つ」の中に含まれるものをすべて知っていれば、それで十分です。それにしたがって生きるとき、私たちは敵の地歩をかなり得ることになります。一の基礎であるそれに付け加え始めるやいなや、私たちはその立場全体を引き渡し始めることになります。私たちの特別な解釈や教えや教理には、一の基礎としての価値はまったくありません。重要なのはこの基礎だけであり、それで十分です。


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