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 しかし、マイクロホン的な御言葉理解を持つとき、私たちは聖書を持ちます。そうです、しかし、それ以上です。神が聖書を通して語られ、私たちは生けるものを得ます。私たちはみな、子供のとき海辺で、貝殻を拾って耳に当て、海鳴りを聞きました。その貝殻を町の家に持ち帰って、耳に当てると、依然として海鳴りが聞こえました。これは本当でしょうか?それは子供じみた幻想です。私たちが子供で、貝殻を町中で持っていた時、私たちはこう考えました。自分が耳にしているのは海鳴りであり、その貝殻の中に海鳴りがすべて蓄えられているのだと。そして、それを自分の耳に当てさえすれば、海鳴りが聞こえるのだと。このような考えは、貝殻に関する子供の考えです。しかし、これはそういう類のことではありません。その貝殻はじょうごのように機能しているにすぎません。大気中の音の振動を集めて、耳だけでは聞こえない音を聞こえるようにしているのです。その貝殻は、より大きなものを伝える送信器に他なりません。

 一冊の本として見た神の御言葉は、まさにこの貝殻のようです。私たちが神の御霊の中にあるとき、それは私たちに主の御心を伝えます。しかし、それを通して私たちに働かれる聖霊の働きがなければ、それはまさに他の本と同じです。私たちはそれを読むかもしれませんが、他の本から得られる以上の光は得られません。必要なのは霊的知識ですが、多くの人は聖書をたんなるマニュアルにしています。


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