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(c)宮

 また、キリストとの合一は宮です。「神が臨在していて利用可能である」と述べるならこれも網羅される、とおそらくあなたは思うかもしれません。これらはキリストとの合一に関する厳密に区別された概念ではありません。それらはみな、一つのまとまり、すなわち神の家の一部分です。宮はただ一つの特別な概念を明らかにします。それは神がおられる所であるだけではないことがわかります。神は彼の聖なる宮の中におられますが、この宮の概念は、宮は神の権利が受け入れられる所であること、そこでは神は御自身の権利を獲得されることを意味します。なぜなら、これこそまさに礼拝の意味だからです。宮は礼拝の場所であり、礼拝は神に彼の権利を与えることに他なりません。神の権利は絶対的であり、彼の宮の中で神はすべてを獲得されます――すべては神のためです。宮が神の意図通りのものではなく、型として大いに異なるものだった時代――イザヤはこう記しました、「ウジヤ王が死んだ年に、私は、高く上げられた御座に主が座しておられ、また彼の衣の裾が宮を満たしているのを見た」(イザ六・一)。そこは他の何者の余地もない所です。ウジヤの物語は御存知でしょう――彼は香を炊くために非合法的に宮の中に入り、そうする権利もないのに香を炊くために中に押し入りました。そして、彼はらい病で打たれ、離れ殿で死にました。言い換えると、彼は神の場所の中に入ったのです。その後、ウジヤが道からどいた時、イザヤは宮を満たしている主を見ました。これが宮の真の目的です。そこは、これから見ることになりますが、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」です。ですから、宮の背後にある思想は――ここでは、ここにいるこれらの人々の中では、局所的に見い出される二人または三人、あるいはさらに大きな群れの中では、神はすべてを獲得されるということです。神は完全で、自由な、妨げのない、無条件の道を得られます。完全な降伏、服従、明け渡し、従順という彼の権利が、彼に渡されます。そして、それは口先だけのことではなく、生活上のことです。これがこの宮、生ける宮、霊の家です。神の権利が彼に渡されているのです。


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