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手段としての十字架

 十字架。この箇所が示しているのは、霊の力に関する三番目の主要な点――十字架――です。すなわち、主イエスは死なれたこと、彼は十字架に付けられて葬られた、という意味における十字架です。彼は一度限り永遠に罪に対して死なれました。私たちは彼にあって死にました。しかし、主イエスは死んで、死者になりましたが、状況を次のように変えました。すなわち、御自身が受け入れた弱さを通して少しのあいだ御自身を死に明け渡して、死が一時のあいだ彼を支配した一方で―― 一時のあいだ死が御自分を支配するのを許された一方で、しかし彼は永遠の御霊によって死の支配の力を打ち破り、死者の中からよみがえって、死を虜にされたのです。死が支配権を握る代わりに、キリストが死を支配されました。最後の啓示は――何と素晴らしいことでしょう――「そして死とハデスの鍵を持っている」です――死とハデスの権威を持っておられるのです。「私は生きている者です。私は死にましたが、見よ、永遠に生きます」。「私は代々にわたって生きます。そして、死とハデスの鍵を持っています」。何が示されているのでしょう?死はキリストの御手の中にあります!死はキリストの御手の中にあります。そして、キリストを死者の中からよみがえらせて、死者の中から連れ戻された永遠の御霊は、死に対する力と権威をお与えになりました。死はキリストの御手の中に、聖霊の御手の中にあります。さて、これの素晴らしい点、麗しい点、見事な点は、もともと死は彼に対して用いられたものだったのに、聖霊は主権をもって死を肉に対して用いられたことです。

 これを明らかにすることにします。天然の人における死の根拠は何でしょう?肉です。肉のゆえに死は権威、力、支配力を持っています。死には肉が必要です。主イエスは肉体を取られました。そして、死は彼によって滅ぼされ、征服されました。そして、彼は死の力を受け取られました。今や主権をもって信者の中で主イエスは死を肉に対して用いておられます。これがローマ六章です。死を聖霊は肉に対して用いておられます。あなたはそれを御存知です。信者が肉に触れる時、何が起きるでしょう?ただちに、死の感覚が生じます。その結果:――ああ、それから逃れることになります――それから転じることになります!「肉」に触れた時、嫌悪感が湧きます。あなたが最初に思うのは、これから逃れることです。あなたは主のもとに駆け込んで――「私は肉の中で活動してきました」と言います。聖霊は死を肉に対して用いて、あなたを解放されたのです。


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