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 さて、これらの御言葉が語られたのは、無力な人の癒しの時でした。この出来事の背景は、その内的意義に関して多くの光を与えます。ここに、何年も無力だった一人の人がいます。彼は長年の間、癒されるために池に入ろうとしてきましたが、駄目でした。彼には全く望みがありませんでした。自分の助けは他の人にかかっていることを、彼は知っていました。彼は何と哀れだったことでしょう。「水がかき立てられる時、私を池の中に入れてくれる人が誰もいないのです!」。彼の唯一の望みは他人でした。そして「誰もいな」いところに、ある日イエスがこちらの方にやって来て、彼に起きるよう命じられました。その無力な人はこの命令に関して議論せずに、「私は何回もそうしようとしてきましたができませんでした。そうする力が自分の中にないのです」と言いました。彼は自分の信仰をキリストの中に置きました。自分ではできなかったことを、彼は別の方――キリスト――の力の中で行いました。自分自身の自己を放棄して、彼はキリストを着ました。そして、自分の救いはこの別の御方の中にあることを彼は見い出しました。そこで、この御方に信頼して彼は立ち上がりました。キリストが彼の力になられたのです。これが命です。

 さて、この出来事はこの章全体の上に多くの光を投じます。ユダヤ人たちはこれに反対しました。なぜなら、彼らは外側の律法によって支配されていたからです。律法の要求は文字を実行することであり、その結果は命よりもむしろ死でした。「なぜなら文字は殺しますが、御霊は生かすからです」。ユダヤ人たちは、律法の代わりにキリストに働いてもらうよりも、むしろ、その人を死に至るまで絶望状態のまま放っておいたでしょう。キリストは内なる法則によって支配されていました。その法則は命の法則であり、それゆえ命をもたらしました。彼は言われました、「私の父が働いておられるので、私も働きます。(中略)なぜなら、父がなさることは何でも、子も同じように行うからです」。ここに御父と御子の素晴らしい一致、内なる法則、命における神との合一があります。この合一の中から神の数々の働きと、命の数々の現われが流れ出ます。


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