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からだを認めること

 使徒が私たちに教える次の点は、キリストのからだは相互に認めあわなければならないということです。それについてはかなり述べたばかりです。ここでは、それをはっきりと指摘することにします。ここでもまた、冒頭の御言葉がこの点で適切です。「……あなたたち一人一人に言います。思うべき限度を超えて思い上がってはなりません」。もし思い上がるなら、他の肢体たちを無にするか、彼らの占めるべき地位よりも彼らを低くしてしまいます。一つの肢体が状況を支配する時、キリストのからだに大きな害を及ぼします。主が持つことを願っておられるのは、肢体相互の服従・承認です。ですから、「主を畏れて互いに服従しあいなさい」とペテロは述べています。

キリストを供給すること

 さらに、互いにキリストを供給しあわなければなりません。私たちはキリストの何か、キリストを供給するためのキリストの能力を持っています。つまり、私たちによって供給されるべきキリストの度量を持っています。私たちの任務は、互いにキリストを供給しあうことです。このようにしてからだは成長します。

 私は、ある句を初めて聞いた時のことを忘れません。その句をあなたたちの多くはしばしば聞いてきました。それは一九二五年のアメリカでのことでした。私は、神のある働きをアメリカに建て上げるために大いに用いられた、主のある僕について話していました。私は主のこの僕に関心があり、彼女について知りうることをすべて知りたいと思っていました。私は、彼女の生涯のあいだ彼女ととても親しい関係にあった一人の人に会いました。私は彼から、彼が知っていることをすべて聞こうとしました。彼は彼女の晩年について私に話してくれました。そして、とてもさりげなく、話の流れの中で、彼は「私はよく彼女のところに行って、主の御名の中で彼女に命を供給したものでした」というこの句を用いました。彼はこの句を、まるでそう述べるのが世の中で至極自然であるかのように述べました。主の御名の中で彼女に命を?当時、それは私にとって新しい観念でした。次に、私の思いは神の御言葉に直ちに立ち返りました。この句を支持する御言葉は何かあるのでしょうか?この句を支持するとても多くの御言葉があることを私は見い出しました。使徒ヨハネが次のように語るのを、あなたは聞いたことがあるでしょう。「誰でも死に至ることのない罪を犯している兄弟を見たなら、神に願い求めなさい。そうすれば神は、死に至ることのない罪を犯している人々に、命を与えて下さいます」(一ヨハ五・一六)。これは私たちの務めの一部です。キリストは私たちの命ではないでしょうか?そして私たちは、キリストにあって機能している者として、互いに命を供給しあえるのではないでしょうか?確かにできます。これに私たちは召されています。こうしてからだは成長します。ああ、どうか主が、私たちが死ではなく、さらに多くの命を供給しあえるようにして下さいますように。


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