信者の主要な包括的義務

 これを理解する時、信者たちは内なるキリストに関してある義務を負うことになります。第一の包括的義務(さらに多くのものを含む義務)は、信者は新生以前の立場とそれが意味するすべてのものを放棄しなければならないということです。これは、信者は生来の在り方という立場を全て放棄しなければならない、ということを述べる別の方法に他なりません。主イエスは偉大な数々の真理を具現化するのにとても単純な比喩を使われました。彼は御自身が具現化している真理がいかなるものなのかを決して話されませんでした。なぜなら、霊的理解力が全くなく、聖霊も来臨していなかったからです。その後、聖霊が来臨された時、彼が述べた断片的言葉が光で照らされて拡充されました。彼は天然の立場を捨てるというこの偉大な真理をすべて数語の短い言葉の中に詰め込まれました。「誰でも私について来たいのなら、自分自身を否み、日毎に自分の十字架を取り上げて私に従いなさい」。「自分自身の十字架を負って私について来ない者は、私の弟子(教わる者)になることはできません」。「自分自身を否む」!この句を握りしめて自己否定について語り、それをあらゆる種類の事柄に適用することもできますが、主イエスがこの御言葉で言わんとされたのは、天然の命の立場全体を拒絶して、それによって全く支配されないことです。キリストはそれを十字架によって断ち切り、それに反対して十字架を据えられました。そして十字架の意味によって、生来の私たち自身であるすべてのものに対して、「ここにあなたの立場はありません。あなたはここでは支配できません」と仰せられました。これを行う時、あなたは彼の弟子になることができます。つまり、彼から教わる者になることができます。彼の学校に入学して、この立場ではなく彼の立場に基づいて生きることの何たるかを学ぶことができます。新生以前の立場を放棄してキリストの立場にとどまることが、私たちの包括的義務です。

 ここでもまた主イエスは、彼の立場に基づいて生きるというこの偉大な真理を、絵図的形式で述べておられます。「私の中に住んでいなさい」。「ぶどうの木の中に住んでいなければ枝は自分では実を結ぶことができないように、あなたたちも私の中に住んでいなければ実を結ぶことはできません」。この絵図は完全に明らかであり単純です。しかし、彼が何について述べておられたのかを示す後の御言葉による、聖霊の全き照らしが必要です。キリストの中に住むとはどういうことでしょう?それはあなた自身の中に住むことではありません。それはあなた自身の外側に出て彼の立場に着くことであり、それは彼がすべてを支配するためです。これはとても単純ですが、必要不可欠です。


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