新しい関係

 一〇章一七~一八節:「父が私を愛して下さるのは、私が自分の命を捨てるからです。それは、私がそれを再び得るためです。誰かがそれを私から取り去るのではなく、私がそれを自分から捨てるのです。私にはそれを捨てる力があり、またそれを再び得る力があります。この命令を私は私の父から受けたのです」。

 ここにキリストの死に対するもう一つの言及があります。その文脈を見るなら、「私は良い羊飼いです(中略)私は自分の羊を知っています」と主が述べておられることがわかります。次に彼は、「私には、この囲いに属さない別の羊もいます。私は彼らも導かなければなりません(中略)そして一つの群れ、ひとりの牧者となります」と仰せられます。彼が第一に述べておられるのは、彼の羊であるユダヤ人の信者たちです。次に彼は、「この囲いに属さない別の羊」について語られます。彼の念頭にあるのは、彼のもとに来ることになる異邦人の信者たちです。そこで彼は「別の羊(中略)一つの群れ(中略)ひとりの牧者」と仰せられます。あなたはユダヤ人の種族の羊と、異邦人の種族の羊を見ることはないでしょう。そのようないかなる区別もすることはできないでしょう。彼らは一つの群れになります。二つの群れが一緒にされて一つの囲いの中にもたらされます。「こちらはユダヤ人の信者で、あちらは異邦人の信者です」と言えるような、羊の二つの種族、二つの種類があるわけではありません。羊を区別するのは不可能でしょう。これはキリストの死と復活の結果である、と述べられています。

 パウロはこれを説明してくれます。彼はあなたに、「キリストはその死によってユダヤ人と異邦人との間の敵意を滅ぼして、その復活によってこの両者――ユダヤ人と異邦人――からひとりの新しい人を造られました」と告げます。一人の人、一つの完全体である人、完全な実体が、二人の人である、と想像するのは不可能です。それは馬鹿げた考えです。さて、ひとりの新しい人が意味するのは、多様なものはすべて排除されて、一種類の人、ひとりのの新しい人になったということです。ヨハネ一〇章の中で、この絵図的方法で主イエスが示しておられるのは、このことです。

 これがみな意味するのは、死と復活の結果、この地上のあらゆる異なる人種出身の信者たちは、一つの共通の命を持つようになったということです。それは、彼らの存在の最も内側深くにある現実において、彼らが一つとなるためです。これは何か新しいものです。これはパウロが新しい人と称しているものです。それはひとりの団体の人です。


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